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官と民の壁、職種の壁、年齢の壁・・・
私たちの身の回りにある様々な目に見えない「壁」をCross-overし、
多様な「人財たち」がより良い社会の実現に向けて協働するきっかけを創り出す触媒、
それが官民協働ネットワーク Crossoverです。
     

Crossover 特別企画


池田洋一郎、佐藤正弘、福嶋慶三 帰任報告会

-Be the Change you want: 望む変化に自分自身が成るために-



-結果報告-

3年前の夏、それぞれの想いを胸に抱いて霞が関を飛び出し、国際機関職員、研究者、そして自治体職員として、新しいフィールドへと向かった3名のCrossoverスタッフ(池田洋一郎:財務省⇔世界銀行、佐藤正弘:内閣府⇔京都大学、福嶋慶三:環境省⇔尼崎市役所)が、挑戦の旅路を通じて得た葛藤と成長、そしてこれからの目標などを報告した上で、参加者の皆さんと、「望む変化に自分自身が成る」生き方について、対話を通じて考えました。


1. イベント概要
2. 旅から戻った3名からのメッセージ

池田洋一郎:財務省⇔世界銀行

佐藤 正弘:内閣府⇔京都大学

福嶋 慶三:環境省⇔尼崎市役所
3. 少人数グループ・ダイアログにおける議論の紹介
4. スタッフによる総括



1.イベント概要

① 日時:2014年8月31日(日)
② 場所:富国生命ビル(内幸町)10階 世界銀行東京開発ラーニング・センター
③ プログラム:
  第一部 報告会&ディスカッション 司会:植木武志
  ・開会に当たってのメッセージ ~Crossoverのビジョンと本会の趣旨~:田中里沙
  ・池田洋一郎、佐藤正弘、福嶋慶三からの報告と鼎談
  ・参加者とプレゼンターとのダイアログ(質疑応答)
  ・参加者同士のダイアログ
   1) 自分が過去経験した/現在経験中の/将来経験し得る、最大の環境変化とは?
   2) 環境変化から、学んだ最も大切なこととは?(最も学び取りたいこととは?)
   3) 環境変化がその後の人生に与えた/与えうる意味とは?
  ・グループ・ダイアログの内容の共有
  ・閉会に当たってのメッセージ:田中宗介

第二部 懇親会 (フィン・マクールズ 霞が関店)

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2.旅から戻った3名からのメッセージ

● 池田洋一郎
1. 旅の始まり

○ 「途上国の国づくりの現場に身をおき、人々ともに困難な問題解決のために汗をかきたい」、「二国間の交渉だけでなく多国間交渉の場における発信力、提案力、合意形成力に磨きをかけたい」、そして「日本だけでなく世界の国造りや地球規模課題の解決に貢献できる人材を目指したい」…。

こんな想いを胸に「日本からバングラデシュへ」、そして「国益を追求する国家公務員から、グローバル益を追求する世界銀行の職員(国際公務員)へ」という二つの「クロス・オーバー」に乗り出すべく日本を旅立った3年前の夏。

前例、前任者、そして引継書の無い道を歩みだすきっかけは、当時財務省で鍛えてもらっていた上司による「で、お前どうしたいんだ?!」の一言だった。

○ 組織、あるいは社会において、何か新しいことを始める時は、「新鮮な視点とアツい意志をもって主体的に提案する若者」と、それに対して「冷静且つ建設的なコメントと併せて「面白いじゃないか、やってみろよ!」と背中を教えてくれる大人」の両方が大切。
自分にとっては、そういう先輩・上司が傍にいてくれたことが、新しい旅を始める上で大きかった。自分も将来、そうありたいと思っている。

2. 突き当たった壁

○ 高い期待と強い想いを持って乗り込んだ世界銀行のバングラデシュ現地事務所。しかし、思うように、自分の立ち位置を見つけ、仕事を任され進めていくことができない。
各分野で第一級の実績を誇る専門家集団である世界銀行で、実績もこれといった専門分野も持たない当時の自分に割り当てられるのは、霞が関でいえば、入省して2-3年目の若手職員が担当するようなごく単純な仕事ばかり。様々な新規提案をするものの殆ど採用されず、仕事の依頼をしても相手にされないことが稀ではない日々。
財務省勤務時代には、「仕事が降ってくる」という言葉を無意識のうちによく使っていたものだが、「仕事は降って来るものではなく、自ら取ってくるものだ」ということ、そして、それがどれだけ難しいことか骨身染みたものだった。

○ また、ベンガル語を勉強し、週末を利用して農村やスラムを駆け回るも、自分が提供できる付加価値が見つけられず、「自分は社会科見学の小学生と変わらないのではないか」との想いに苛まれた。周囲に同じような立場の日本人も、心を開いて相談できる友人もいない中、孤独感と「一年目で結果を出さなければ雇用期間終了で日本追い返される」という焦りが募るばかり。

3. 背中を押してくれた厳しく優しい言葉

○ 焦り、苛立ち、そして腐りかけていた自分の背中を押してくれたもの、それは「現実を受け容れることは積極的な行為なのだよ」、「自分を目的語にしてばかりいないで、大切な誰か、何かを目的語にしたらどうだろう?」という二つの言葉だった。
○ 振り返ればバングラデシュに旅立つとき、自分は「好奇心」と「向上心」に突き動かされていた。こうした気持ち、即ち「自己実現」の追及は大切だが、これだけだと、自分にスポット・ライトが当たらなくなると腐ってしまいがちだ。また環境や相手が思い通りに動かないと、その現実を「受け容れる」ことができず、むやみに焦ってしまう。
しかし「自分の成長自体を目的視せず、他の誰か/何かに尽くすことを目的と考える」というマインド・セットを持てば、自分ではなく目の前の現実や人にスポット・ライトを当てて正面から向き合い、よく観察し、そして受け容れることができる。相手を受け容れて初めて、自分も受け容れられる…

○ こんな気付きに背中を押されて、自分は前向きな気持ちを取り戻しながら、バングラデシュでの仕事を続けることができた。
結果、1年目の終了時点で、面接を経て正社員として採用されるとともに、政府-大学―世銀―NGOの協働を通じた市民参加型のプロジェクト・モニタリングという今までにない仕組みを立ち上げ、軌道に乗せることができた。
また、過激派に襲われた村の救済のために、個人で約150万円を3週間で集め暴動が多発する最中に村を何度も訪問し、コミュニティの再建に貢献することができた。

4. 自分が魂を燃やし続けられるテーマとは何か?

○ 3年目に入り、ワシントンの世銀本部の経営企画部からオファーを頂いた自分には、1年目とは比較にならないほど、様々な仕事が寄せられ、楽しく生産的な時間を過ごすことができていた。そうした中、4年目以降も引き続き世銀で仕事をするという話が持ちあがった。
悩ましい状況の中で友人がかけてくれた問い、即ち「君が魂を燃やしながら尽くせるテーマとは何だ?」は職業選択をする上でのある指針に光を当ててくれた。

○ 確かに世銀には、例えば、水、インフラ、栄養、医療、あるいは気候変動等、特定のテーマに対して魂を燃やしながら突き進んでいる同僚が多い。では、自分が一番追求したいテーマはなんだろうか?それは「日本の国づくり」であった。
そうか、それならば3年を経て日本に戻ろう…ようやく慣れてきた世界銀行や親しい同僚たちに別れを告げるのは寂しかったが、素直にそう思えることができた。

5. これから

○ 世銀バングラデシュ事務所時代のある同僚が、異動に当たって残したこんなメッセージが心に残っている。「記録ではなく、記憶に残る仕事ができる人でありたい」。

○ 人は確かに数字やポジション等、記録に残る実績を求めがちだ。しかし、これらは時を経て更新されていくもの。他方で、「あの人はあの時に逃げなかった」、「彼はあの時に、こんな言葉をかけてくれた」、「あんな風なやり方をしたのは彼女だけだった」といった人々の心と脳裏に刻まれる記憶というものは、なかなか更新されないものだろう。
自分は、霞が関に戻ったが、「仕事は降ってくる」ではなく「とってくるものだ」という気持ちを忘れず、現場と霞ヶ関を往復しながら課題解決に尽くすアントレプレナーとして人の記憶に残れるような職業人でありたいと、今思っている。

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● 佐藤正弘
1. 研究テーマ―水―選択に当たっての問題意識

○ 皆さんは一日どれくらいの水を使っているかご存知だろうか?私の推計では、食料や衣類を作るための農業生産用の水は、日本人の平均で1日3,542リットルになる。
つまり、私たちが使う水の圧倒的に多数は、私たちが直接触れない形で、畑で使われている。自分の研究の対象は、水一般ではなく、この食料生産のための水。

○ 食料にこれだけ水が必要となると、気になるのは人口との兼ね合い。世界人口は1963年には32億人だったが、今年には72億人、2050年には96億人になる。そして今世紀末に、100億人を超えたところでようやく安定化に向かう。

つまり、たった100年少しの間に、人類は100億人の世界、かつて経験したことのない未曾有の地平にジャンプするということ。
そのジャンプの過程で、私たちは、100億人サイズに合うように、地球と人間との関係性をリデザインしていなかくてはならない。
特にこの過程のちょうど2/3のところにいる我々のミッションは、このリデザインを遂行し、新しい地平で生きていく世代(孫と曾孫の世代)に地球を受け渡していくこと。

○ では、このジャンプの過程で、どのくらいの食料や水が必要なのか。FAO(国連食糧農業機関)の推計では、2050年までに世界の穀物需要は70%?100%増加する。これに伴って、必要な水の量もおよそ2倍になる。
地球上には、この需要を賄うだけの水があるのだろうか。結論から言うと、水の総量自体は十分すぎるほどある。しかし問題は、それがどこにあるか。

○ 地球の構造上、水は極めて偏って存在する資源。特に、世界各国の一人あたりの水賦存量で見ると、インド、中国、ナイジェリア、タンザニア、パキスタン、エチオピア、ウガンダといった今世紀末に人口上位10カ国に入る国のうち7カ国が、今現在でも日本の半分しか水がない。
しかも、これらの国にとって、人口増加と気候変動によって水の希少性は更に増すことになる。

○ これらの国々が、水が豊富な国から農作物を輸入できれば問題はそれほど深刻ではない。現実に中国は既にそういう戦略をとっているし、インドも近い将来そうなるだろう。
問題は、それができないアフリカの貧しい国々。これらの国々、特に食料生産のほぼ全てを天水に依存している国々に残された選択肢は耕作地の拡大。
ある推計によると、2050年までに、水不足を回避するため、世界全体で日本の国土面積のおよそ6倍もの耕作地が新たに必要になる。おそらくこの過程で、多くの森林が失われることになり、それがさらに気候変動を助長する。

○ 東アフリカや西アフリカの貧しい国々を気候変動が襲えば何が起こるのか。ソマリアでは、2010年から2012年の間に26万人が餓死した。
その半分は5歳以下の子ども。原因は、この当時東アフリカを襲った大干ばつと、内戦のために救援物資がゆきとどかなかったこと。もちろんソマリアは特殊な国だ。しかしその特殊性は、アフリカではそれほど特殊ではない。
南スーダンも、コンゴ民主共和国も、中央アフリカ共和国も、ナイジェリアでも紛争が進行中。ソマリアで起こった事態は、今後、水不足に直面する多くの貧しい国々でいつでも起こり得る。

○ これが地球の水問題の帰結である。すなわち、水問題は、森林破壊と気候変動の悪循環と、干ばつによる深刻な飢饉や貧困が生じる不確実性、そういう世界に我々を導く。
これが、リデザインがうまくいかない場合の代償。そして命をもって償わなければならないのは、いつも貧しい国の何の罪もない子供たち。

2. 年間で実現した成果

○ 今日伝えたいことの一つ目は、研究者として「何を実現したいのか?」自分の場合、それは、100億人のサイズに合うように、地球と人間との関係をリデザインすること、そしてそのためのプリンシプル、新しい時代の原則となるアイディアを、自分の頭の中から生み出すこと。それによって、命をもって償わなければならない子供たちを一人でも多く減らすこと。

○ もちろん、その仕事は3年間だけで終わるわけではなく、この先、10年でも20年間でも、納得がいくものを生み出せるまで続けていきたい。ただ今日は、この3年間でのひとまずの成果をお話ししたい。

○ 自分が着目したのは、水の多様性。水は、地球を循環する中で多種多様な形態に姿を変える。水という資源の本質が多様性だとすると、この多様性をもっと積極的に活用することはできないか、と考えた。

○ 例えば、地域Aでは天候による変動の激しい河川水、地域Bでは変動はさほどしないが、揚水しすぎると枯渇してしまう地下水のストックが利用できる場合を考えよう。
地域Aが干ばつで水が不足したら、地域Bで水を多く使う農産物の比重を高めて、その農産物自体(バーチャル・ウォーター)、あるいはそれによって生み出された経済的な価値を地域Aに移動する。反対に地域Aで水が豊富にあるときは、地域Aで水を多く使う農産物の比重を高めて、それによって生み出された価値を地域Bに移動し、地域Bは揚水量を抑制する。
そうすれば、地域Aでは干ばつによる影響の緩和、地域Bでは地下水資源の節約を実現できる。

○ 別のケースとして、両地域ともに不確実性が極めて高い天水しか使えない場合を考えてみよう。地域AもBも、平均的には同じくらいの水の量で、干ばつの確率も同じ程度。しかしもし、両地域の変動のパターンがちょうど逆さまだったらどうだろう。
お互いに水利用量を相手に合わせて調節することで、全体として安定化効果を引き出すことができる。実際、アフリカの多くの半乾燥地帯にはこうしたモデルがフィットする。

○ このように、水そのものの移動ができなくても、複数の地域の水利用量をお互いの天候や水の形態に合わせて調節し、水を使って生み出された価値を交換すれば、全体として安定性や水資源の保全を図ることができる。
そうすれば、不安定な天水に依存するアフリカの地域は、お互いに不安定性をカバーし合うことで、必要以上に耕作地を広げることなく食料を増産できるし、干ばつの被害も防ぐことができる。
このように、複数の地域をリンクしてネットワーク全体として安定性や資源保全を図る新たな枠組みを、私は“バーチャル・ベイスン(仮想流域)”と名付けた。
ベイスンは日本語で“流域”。複数の地域の水資源をバーチャルにリンクさせて、ネットワーク全体であたかも一つの大きな流域として水利用量を調節していく考え。
この3年間で自分が考え出したのは、このバーチャル・ベイスンの原理やモデル、そのために必要な政策の枠組み。

3. 研究者として持つべきマインド・セット

○ さて、研究の話はこれくらいにして、今日皆さんにお伝えしたいことの2つ目に移りたい。自分にとっての3年間のチャレンジを一言で言い表せば、“異常であること”だった。
これは、研究の世界で価値のあるものを残す上で、とても重要なこと。わかりやすく説明するために、ユタ大学のマット・マイト教授が学生に「博士号を取るとはどういうことか」を説明するために使っている図を用いる。
ここで私が強調したいのは、この過程。これは単にある分野の専門知識を増やしていっているというだけではなく、特定の視点、世界の見方そのものを、非常に特殊な状態に研ぎすませていくということ。

○ 経済学の例でいうと、モデルによって世界を見るという行為がそれに当たる。経済学者に対する批判として、経済学者はモデルの中でだけ物事を考えていて、現実を見ていないというものがある。しかし、モデルには、現実の未来の予測以外に、もう一つの使い方がある。それは、真理を見つけるための手段としての使い方。現実世界は極めて多様。
それをそのまま眺めていても何も見えてこない。そして往々にして、私たちの目に見えているものと、この世界の真理とは必ずしも一致しない。真理を見つけるためには、現実世界の様々な要素を削ぎ落としていって、高度に抽象化された世界観を構築し、そこで思考実験を繰り返す必要がある。
そのためには、どの要素を削ぎ落として、どの要素を残すべきか、という視点、即ち世界の見方が問われることになる。そして、余計な要素を削ぎ落としたその先に、高度に抽象化された世界に、一点の真理が見えてくることがある。
それは現実そのものではないが、世界の真理の一面を写し出している。この真理を見つけ出すために、異常であることが必要。

○ 自分にとってそれがチャレンジングだったのは、ある意味、自分はこれまで霞ヶ関でバランスを取ることを求められる仕事をしてきた。現実世界で政策を実施するためには、関係する様々なステークホルダーの利害を読み解き、均衡点を見つけていかなくてはならない。
そのためにはバランス感覚が非常に重要。しかし、研究の世界で本当に意味のある成果を残すには、異常であること、つまり、バランスを逸することが極めて重要。
これは自分にとって非常に新鮮で、チャレンジングだった。

○ ところで、真理を見つけ出すためには異常であることが必要だけれども、その先に見えてくる風景、すなわち、人類の現在の知識の外側に飛び出た時に見えてくる風景は、実は異常ではなく、とても普遍的なものだったりする。それが、今日皆さんにお話ししたいことの3つ目。

○ 僭越ながら、自分が生み出したバーチャル・ベイスンの考え方の中にも、一定の普遍性がある。バーチャル・ベイスンは、クラウド・コンピューティングやバーチャル・パワープラント(仮想発電所)などとも共通する構造を持っている。
これは、不確実性が極めて高い複雑な世界の中で、中央集権的な統制構造を築くのではなく、多様な要素が分権的に相互作用しながらレジリエンスを高めるような構造。
そしてこの中からだけも、100億人のサイズに地球と人間の関係性をリデザインする上で重要なプリンシプルがいくつか見えてくる。今日はその中から2つお話しして終わりたい。

4. 地球と人間との関係性をリデザインする際の大切な原則

○ 一つ目は、自然との向き合い方。これまで人類は、巨大なダムや運河を建設することで、水の変動に対応してきた。これは自然の側を人間の都合に合わせるやり方、言わば、力によって自然を征服するやり方。
しかしその過程で、多くの生態系や文化の多様性が失われてきた。しかしこれからは、人間側の関係性を柔軟に組み替えることによって、人間側が自然に適応することが求められる。
力に対して力で挑むのではなく、変動を受け入れた上で、関係性によってそれを吸収していく。そういう仕組みが求められる。

○ もう一つは、ローカルとグローバルの関係性。バーチャル・ベイスンの下では、それを構成する個々の地域は多様であれば多様であるほどよい。
それぞれがそれぞれの気候や風土に合う形で、その土地に合わせた生産を行う。そういう多様な地域がつながることによって、全体として安定性や持続可能性が生まれてくる。
全体として安定性や持続可能性が確保できれば、個々の地域はより一層個別の状況に適応していくことができる。
ローカリズムでもグローバリズムでもなく、ローカルとグローバルが相互に好循環を生み出していくような構造が、これからの時代に求められるもう一つの要素。

○ そして、こういうプリンシンプルを、自分は美しいと思う。異常性を突き詰めることで、しかし、そこで見出した真理は実は普遍的で、そして、美しかった。

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● 福嶋慶三
1. 尼崎市赴任のきっかけと問題意識

○ 尼崎市長・稲村和美さんの要請で、3年前の2011年7月に兵庫県尼崎市(人口約45万人、職員数約3千人)に「理事」(市長、副市長に次ぐナンバー3のポジション)として赴任した。
要請を受けた際には、自分のキャリア上は別の選択肢もあって、非常に悩んだが、尼崎市を選んだ。理由はなく、最後はパッションというか直観的なもの。

3年間、市長と文字通り2人3脚(途中からは、博報堂から招請した船木成記さん(現・尼崎市顧問)も交え3人4脚)で、新しいまちづくりに挑戦してきた。

○ 市長は尼崎を、以前東大の小宮総長が「課題先進国日本」と呼称したことになぞらえ、課題先進国の中の「課題先進都市」と位置づけ、ここで課題の解決に結びつけば、それは日本全体へのヒントになるとの思いでやってきた。

○ 今、まちづくりは、3.0の時代。もはやマンバワーも財政も限界であり市民だけでも、行政だけでも、まちの課題の解決はもはやできない。(企業を含めた)市民と行政が同じ目線でまちの課題に向き合い、ともに協働して、課題の解決にあたることが不可欠。
そして、それこそが、新しい時代のまちづくり、国づくりのロールモデルとなる、こんな問題意識を持って尼崎市に赴任した。

2. 壁を乗り越える

○ しかし、振り返れば、就任当初は、正直、期待にまったく応えられていなかったと思う。最初の数か月は、市長とほとんど一緒に行動し、市長の考え方、判断軸を吸収した。
同時に、本当に多くのことを勉強した。守備範囲は市長と同じであったため、教育も産業も雇用も福祉も子育ても防災も治安もなんでもやった。しかし、自分の力不足を痛感する毎日であり、胃が痛い日が続いた。

○ 半年ほどして、胃が痛いのはある程度は解消されたが、それはしょせん、「できることしかできない」と割り切ったからであり、また同時に「自分にしかできないことをやろう」と開き直ったからでもあった。

○ その1つに、例えば、なかなか芽が出なかった若手の職員たちの心に火をつけたこと。若手が自分たちで考え、自分たちで行動し始めたこと(組織の人口ピラミッド上も、特に30代職員のボトムアップ、スキルアップが不可欠でもあった)。
彼らからもらった寄せ書きが書かれたTシャツは、今でも自分の宝物。

○ 仕事では、市長の参謀としての仕事と同時に、数多くのプロジェクトのリーダーを務めた。それらの仕事を通じて、自分自身も成長をした。
一緒に仕事をしたたくさんの人に鍛えていただいた。結果として、シティプロモーションやソーシャルビジネス、尼崎版グリーンニューディールなど、全国的に見ても先進的な取り組みを手がけることができた。

3. 自分のミッションとは何か?

○ あるとき、友人で先輩の懇意の研究者の方から飲みの席で「君が尼崎で、本当にやりたいことは何か?」と詰め寄られた。
自分が答えるすべての答えが薄っぺらく、否定された。最後には、答えることができず、なぜか、涙が溢れてとめることができなかった。それで、結局、「自分がこのまちで本当に(池田くんのいうような)魂を焼き尽くしてもやりたいことはないのだ」と気づかされた(それはある意味、求められて行ったのだから、当然といえば当然なのだが)。

○ では、自分の本当にやりたいことは何か?それはおそらく、いま4歳の自分の息子が将来も日本で、地球で、それなりに豊かに暮らしていけるような社会を、彼が大人になったときに引き渡すこと。そのために今、努力すること。
もちろん、そこには、尼崎市での仕事も含まれるが、自分が地方自治体で経験した数多くのことは、いまの霞ヶ関には足りないもので、これを霞ヶ関に持ち帰るべく、東京に戻ろうと決心した。

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3.少人数グループ・ダイアログにおける議論の紹介

自分が過去経験した/現在経験中の/将来経験し得る、最大の環境変化とは?

○ 仕事で3年間のアメリカ勤務(商社)から戻ったが、日本の労働市場の流動性の低さに改めて気づかされた。

○ 「子供が生まれる」ということで世界観が変わった。「この子のために」という意識が生まれ、社会や政治に目が行くようになった。

○ たまたま参加した自転車の大会にハマり、気付けば日本で初の国際大会開催の実行委員になって(その自転車レースの文化(「バカになる文化」)の維持と、行政や社会のサポート(あまり破天荒なことは好まない)いかに両立させ、イベントを成功させるかが課題。

○ これから欧州勤務になるので、そこで起こることが転機になるだろう。

環境変化から、学んだ最も大切なこととは?(最も学び取りたいこととは?)

○ 4代続く老舗で、「変わるべきところ」と「変わってはいけないところ」の見極め、価値判断基準をどうおくかが重要な点になってくる。

○ 「悪い変化」はいつ起こるのか?という疑問と向き合う事が必要。例えば、多くの若者は、社会人一年目は青雲の志を持っているはず。
しかし、年月が経つうちに、不正を行う人が出てくる。どこで彼らの志は変わってしまうのだろうか?

○ 官僚の世界で2度ほど働く経験をしたが、民間の知恵を霞ヶ関は活かし切れていないと感じた。官僚の世界にやってきた民間人に、官僚になることを強いるのではなく、もっとうまい活かし方があるはず。

○ 地方の事務所で起こっている諸問題が霞が関では認識できていないことがもどかしい。

○ 海外特派員をしている時に自社や自分自身が予定調和になっている姿勢に違和感を持つことができたこと。

○ 変化を予測することはできないが、自ら変化を起こすことはできる、というドラッカーの言葉を思い出した。

○ 変えられない体質のあるのはどこの業界でも同じである。

環境変化がその後の人生に与えた/与えうる意味とは?

○ 学生時代に政府の対応に違和感を持ったことが官僚の道に入るきっかけとな ったこと。

○ 自分の仕事に息苦しさを感じた時、今行っている活動を紹介された。

○ 来年から就職するので、職場体験が人生の転換になるだろう。

○ 未来像を持って仕事をしている官僚に会えたことが収穫だった。

○ いまの職場でやりたい事もあるし、やりがいも感じているけれども、「このまま流されていていいのか」と漠然と不安を抱えていたが、「隣の芝は青い」という言葉は、まさにそのとおりで、自分の意識の問題であることに気づいた。
まずは目の前にある仕事や、自分が入省してやりたいと考えていたことに全力を傾け、ここでしか経験できない学びを得たいという気持ちになった。

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4.スタッフによる総括

人間、誰もが楽に過ごしたいと思う。それは悪いことではなくてごく当たり前のことであるし、常に気を張っていると疲れてしまう。仕事においても、与えられた仕事をしっかりとこなすことはもちろん重要。
でも、本当にそれだけでいいのかな、もっと自分ができることはないのか、自分にしかできることはないのか、という漠然とした不安を、今日、このCrossover特別報告会で解消したと思う。

会は3人の報告者からの、それぞれの旅路の報告から始まった。各自がそれぞれの想いを胸に、それぞれの職場を自らの意思で飛び出し、様々な葛藤を乗り越え、苦楽を経て成長して戻ってきた。
3人に共通しているのは、自分の信念に真っ直ぐに向き合い、ベストなアプローチを考え、挑戦を続けていく、という点ではないか。

3人からの旅路の報告を肴に、参加者が自分自身のこととして今日のテーマを捉え、グループ内で意見交換を行った。

参加者自身が、他の参加者の考え方を知ることで、自分自身を振り返り、自らの気持ちに自信を持って取り組むこと、それが実は自分の信念に真っ直ぐに向き合っていることになるのではないか。
その過程において、変化にチャレンジする場面もあれば、現状を見つめ直すことが必要となる場面もあり、それぞれの場面に適応していき、ベストなアプローチを探っていく、そんな自分でありたいと思う。

このCrossoverの会で各参加者が持ち帰るモノは十人十色。新しい気づきがある人もいれば、今までの考えに自信を得る人もいる。
それは、分野も、年代も、性別も、あらゆる違いをCrossoverして、同じ時間を共有しているからであろう。

これからもCrossoverな出会い・発見を大事にしていきたい。

田中里沙(Crossover21 スタッフ)


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