農村トリップ in 群馬 ~農業農村の開拓者たちから次世代の若者への挑戦状~

農村トリップ in 群馬 ~農業農村の開拓者たちから次世代の若者への挑戦状~

2017/05/20-21

 

農村トリップ in 群馬

~農業農村の開拓者たちから次世代の若者への挑戦状~

 

 

「食と農の心の距離を近づける」をコンセプトに開催した本トリップ。

その結果私たちが得たものは、
「いただきます」の向こう側にある多くの方の喜び、苦労、感謝の気持ち
そして、山野荒地を切り拓いた偉大なる先人達から、
今の時代を生きる私たちへの「開拓者精神」という名の挑戦状でした。

濃密で熱い対話と体験に基づく2日間の記録です。

 

農村フィールドトリップ報告書 [PDF]

 

そのサマリーの一部を以下に引用します! 詳細は、是非報告書をご覧下さい!

 


① (有)農園星ノ環:開拓者魂のバトンリレー

見渡す限りの荒野に立ち、生きるために作物を育て、その水を得るために山奥の開墾に勤しんだ。それが今の美しい農村風景を作り、そして今や毎年実りの秋を迎えることができるに至る。先人達の偉業は容易なことではない。人はそこまでしなければ生きていけなかった。

それを思うと、360度見渡す限り私たちを取り囲む山のなかで開墾された美しい田園や山奥のレタス畑は、胸が詰まるような景色であった。祖先が未来を信じて、子や孫達にいのちの環をつなぐために、気の遠くなるような労力をかけて切り拓いたのであろう。

農から生まれる喜びの種を蒔き続け、その実りを共にすることで広げていく共感の環。野菜と共に自分達も育ちながら、誰もが夢を描き、夢を叶える人となることを目指し、「今、ないものを創り出す」という開拓者魂のバトンリレーを星ノ環さんから受け取りました。

 

② 長谷川農園:異業種との協働を通じた起業家魂

前橋の魅力を広く発信するために、菓子・総菜・弁当等の製造及び販売を行う女性起業者たちが中心となって設立した「まえばしマジョーラ」。
地域の食を通じて人を育て、おいしさを提供することで笑顔を生み出し、共感によってコミュニティを広げる。

地域の生産者、住民、学校、行政の異業種の方と協働し、地域の教育ファームとしての農業システムを作っていこうとする起業家スピリットを感じました。

 

③ 富岡製糸場:歴史の積み重ねの中で繋がる先人の思い

私たちの心を結びつけてくれるものの一つに歴史がある。それは、必ずしも戦争や革命といった一時的なものだけではない。

時代を支えた先人達の日々の暮らし、喜び、苦労、努力・・・これらの積み重ねに心を馳せ、先を生きる子孫のために一心不乱に道を切り開いた先人達の魂を心に刻もうと私たちは誓った。

 

④ 南牧村:農村景観と重なる人の心の美しさ

2014年5月、有識者でつくる「日本創成会議」が、2040年時点での各自治体の人口予測に基づいて発表した「消滅可能性都市」と呼ばれる896自治体。
その中で消滅する可能性のある自治体のトップに挙げられたのが、ここ群馬県の南牧村。

しかしながら、南牧村への移住者は増えている。

今回、Crossoverとの協働の架け橋となってくれた、なんもく大学発起人の田中ひろみさんが力強く語ってくれたのは、消滅する可能性が日本一高いと言われた南牧村は、日本一、生きる力のある、強くて、あったかくて、元気で、美しい村だと言うこと。

農業やエネルギーも自給自足、地域が互いに支え合い暮らしている南牧村―そこにはお金に頼らず幸せに生きる「なんもく力」がある。

多くを語らずとも南牧村の皆さんから満ちあふれる「生きる力」と「愛」。そこにあるのは農村や山村の景観の美しさだけでない。そこで暮らしを営み、
「もてなし」と「しつらい」の精神を背中で語る村民の方の心の中にこそ、南牧村の本当の美しさ*があった。

豊かさと不便さが同居する山村。南牧村では村中がゆったりとした深い呼吸をしながら、柔らかな安心感に包まれている。
そこには、暮らしを支える自然や他者を尊く思い、感謝する心がある。その心が重なるからこそ、南牧村の風景に美しさを感じざるを得なかった。

現代の私たちが忘れかけている日本的な美学や原点。
物質的に豊かな時代を生きる自分たちが、「なんもく力」に学び、できることは何か。南牧村を取り巻く柔らかくあたたかい空気が、私たちの背中を後押ししてくれている気がした。

■ 理屈を越えて先人と心で共鳴する力と豊かな感性

群馬の農村で全身の五感をフルに使いながら、早朝からせわしく始まり、そして時にゆっくりと流れる農村の時間の中で、体と心を柔軟にし、無理に言語化することなく肌で農村を感じた。先人達から受け取った「挑戦状」と「理屈を越えたパッションと共感の環」。

それは現代と言う物差しで測れば、一見、泥臭く、暑苦しく、古くさい時代遅れのものかもしれない。しかし、それは同時に私たち日本人が何か新しいものを見出そうとするとき、そこに「日本人的な何か」を求める時、その原点として農村があるのだろう。

それは実際に現地に行き、直接肌で触れ、対話をし、心を通わせなければ得られなかったかもしれない。
先人の想いに共鳴し、心で感じ、そして豊かな感性を育んだことこそが、農村トリップの学びであった。その想いや知恵を、現代を生きる私たちの共通の宝として活かしていきたい。

そして、今回感じ取った農業や農村の魅力、そこから学んだ生きる力や先人の想いを発信し、人と人を、そして農村を繋いでいきたい。Cultureという言葉は「耕す」に由来する。土と心を耕すことで、先人は文化を築き上げた。

先人達が耕し続けてきた開拓者精神に学び、農村の先人達の想いをCrossover(架け渡す)しながら、私たちも新たな未来を耕し、切り拓いていきたい。

官民協働ネットワーク Crossover
スタッフ 二宮聖也

 

農村フィールドトリップ報告書 [PDF]

移民との共生の歴史と今を知る スタディ・トリップ in ぐんま

移民との共生の歴史と今を知る スタディ・トリップ in ぐんま

2016/06/18-19

 

移民との共生の歴史と今を知る

スタディ・トリップ in ぐんま

 

 

1.はじめに


2016年2月、私たち官民協働ネットワークCrossoverは、厚生労働省有志若手グループNHLWと共催し、「組織・社会に『多様性』は必要か?~社会と私の立場から~」をテーマに異業種ディスカッション大会を行いました。

高齢者や障がい者の雇用、ワークライフバランスなど、「多様性」を巡る様々な論点が提示される中、最も多くの参加者が関心を寄せたのが、「日本は人種の多様性を受け入れられるのか?~移民受入れについて考える~」というテーマでした。

ディスカッションを通じて参加者は、「そもそも「移民」とは誰のことか?」、「本格的な人口減少社会が到来する中で日本の経済成長を確保するために移民の受入れが必要ではないか?」、「中東等での紛争のために母国を逃れざるを得ない難民を受け入れることは、国際社会の責任ある一員として日本が果たすべき役割ではないか?」、「移民受け入れに伴う教育、社会保障、そして治安上の懸念やコストを誰がどの程度負担するべきなのか、この点について、日本国内でコンセンサスはあるのか?」といった論点を巡り、意見を戦わせました。

また議論の中で、日本には既に200万人を越える外国人が暮らしているという統計を確認するとともに、日本で最も外国人住民比率が高い基礎自治体である群馬県邑楽郡大泉町における、日系ブラジル人移民が中心として企画されるイベント「サンバ・パレード」が住民とのトラブルにより中止せざるを得なかった事例を元に、ケース・スタディにも取り組みました。

こうした議論を通じて、私たちは、「移民の更なる受け入れの是非」を議論する前に、すでに日本で働き、暮らしている外国人との共生を巡る現状をより具体的に知ることが必要ではないか、との問題意識を持つに至りました。

そこで、Crossoverスタッフは、ディスカッション大会を通じて得た問題意識を行動に移すべく、ケース・スタディを通じて取り上げた「リトル・ブラジル」と呼ばれる日系ブラジル人移民が多く住む町、群馬県大泉町、及び同県伊勢崎市・前橋市を巡り、現場第一線で多文化共生社会の実現に向けて取り組まれている方々からお話を伺うとともに、直接現状を見て学ぶ「スタディ・トリップ」を企画しました。

かつて国内の食糧・就労事情が厳しかった1900年代初頭及び戦後の一時期、日本政府は日本人をブラジルに「移民」として送り出す政策をとったことがありました。時に過酷な状況下で、懸命に日本人のアイデンティティを保ちながらその地で暮らしてきた「日系ブラジル人」と呼ばれる彼らの2世、3世を、日本政府は、1990年代に入り、今度は国内の労働者不足に対応するべく「定住者」という在留資格で受け入れました。

時代や国の経済状況を背景に、“労働力”として越境をした人々が、どのような歴史を辿り、そして今をどのように生きているのか、彼らが本当の意味で日本社会に溶け込み、日本人と共生する社会とはどのようにしたら創ることが出来るのか、自らの五感を研ぎ澄ませて見聞きし、感じてきましたので、ここに報告いたします。

 

2.スタディ・トリップ in ぐんま 行程表


6月18日(土) ~「リトル・ブラジル」大泉町を堪能した旅の始まり~
10:00 大泉町役場 役場の国際協働担当の方から町の歴史や施策について説明を受け、 意見交換
13:00 ブラジルレストラン
「カサブランカ」
ブラジル料理を早速堪能
大泉町観光協会富樫ジュリアナさんによるブラジル語講座
14:00 スーパー・タカラ、他 富樫ジュリアナさんの案内による町内フィールドワーク
18:00 宿 太田市藪塚の温泉「開祖 今井館」にて温泉を堪能
スタッフ同士の懇親会と議論
6月19日(日) ~伊勢崎・前橋における取り組みを感じる旅~
10:00 NPO法人Jコミュニケーション 日本語学習支援の取組みについて説明を受け、意見交換
12:00 焼きまんじゅう 焼きまんじゅう 知る人ぞ知るローカルなまんじゅうやで群馬名物の「焼きまんじゅう」をお昼ご飯代わりに堪能!
13:00 社会福祉法人あかつきの村 インドシナ難民の受け入れを行い、現在は障害者のグループホーム等を運営している「あかつきの村」を見学、意見交換、村内見学
旅の総括 旅の終わりに共有し合ったスタッフ一人一人の気付きや学び

 

3.報告


大泉町町役場職員の皆さんとの意見交換

日時:6月16日(土) 10:00~12:00
場所:大泉町公民館

スタディ・トリップは、大泉町町役場 企画部の国際協働課にて、同町における多文化共生や日系ブラジル人等外国人の生活支援の分野で活躍されている加藤副部長、岩瀬課長、服部係長との意見交換で始まりました。

意見交換では、冒頭、役場の皆さんから、事前にご用意頂いた資料をもとに、日本の基礎自治体の中で最も外国人住民比率が高い大泉町(注1)の多文化共生に向けたこれまでの歩み、そして課題と可能性をお話し頂きました。

(注1)大泉町の総人口は41,386人。この内、外国人人口は6,900名(外国人人口比率:16.7%)、大泉町住民である外国人の国籍別内訳はブラジル(58%)、ペルー(14%)、ネパール(7.7%)、中国(3.6%)等。 (平成28年5月31日現在)

■ 歴史的背景(出稼ぎから定住化へ、交流から共生へ)

パナソニックやスバル等、大手製造業の工場を擁する大泉町は、バブル期に深刻な人手不足に直面。そんな折、日系三世までの外国人に「定住者」の資格を与え、日本国内でどのような職業にも就けるようにした改正「出入国管理法」等が平成2年に施行されたことがきっかけとなり、工場等での就業目的で同町に移住する外国人が、日系ブラジル人を中心に急増(注2)しました。

(注2) 大泉町在住のブラジル人人口数の推移:

昭和61年 平成元年 平成8年 平成16年 平成20年 平成23年
0 277 4,865 5,140 4,676 4,419

当初、日系ブラジル人の多くは、数年間日本で就労して一定の所得を得た後、ブラジルに帰国することを念頭に大泉町に来られた方が多かったようです。しかし、少しずつ滞在期間が長期化、やがて家族も日本に呼び寄せて定住化していく中で、町役場としても、彼らが就労面だけで無く、生活面で直面する課題に対処する必要性が増えていったそうです。

例えば、日本人にとっては当然の「火事や救急の場合は119番」も、外国人にとっては全く当然ではありません。町役場としては、生活を営んでいく上で不可欠な、しかし必ずしも容易には理解できない事柄について、「正しい情報を、正しく伝え、正しく理解してもらう」ことを方針として、様々な試行錯誤を続けてこられました。

■ 試行錯誤(金をかけずに知恵を絞る、役場を出て人々の集う場所へ足を運ぶ)

町役場の皆さんは、「正しい情報を、正しく伝え、正しく理解してもらう」ために、大泉町に移住することを目的にやって来た外国人と町役場とのあらゆる接点を活用しています。数多くある取組みの中で、今回お話し頂いた主なケースを以下に紹介します。

✓「転入セット」の手交、「GARAPA」の発行
転入時の手続きで役場を訪問する機会を捉え、ポルトガル語で記載された納税、国民保険制度、福祉制度、防災マップ、及びゴミ出しカレンダー等の資料を一括で外国人の方にお渡しをしているそうです。また、ポルトガル語による町の広報誌「GARAPA」を毎月発行しています。

✓ 「多文化共生懇談会」
重要な制度変更等(例:マイナンバー制度の導入)があった場合や生活マナーについて共有する必要が生じた場合、役所で説明会を開くのではなく、外国人の方を集う場に、役場職員が自ら出向いて説明をされています。

✓ 「ポルトガル語通訳」
町役場でポルトガル語通訳を雇用し、制度の説明や各種の相談に応じています。また、上記「転入セット」等の作成やチェックをお願いしているそうです。

✓ 「日本語学級」の設置
大泉町にある4つの小学校及び3つの中学校全てに日本語学級を設置し、日本語・ポルトガル語を話せる指導助手を配置。日系ブラジル人住民のご子息が日本の通常のカリキュラムについて行けるよう、日本語を習得する機会を提供しています。

✓ 「文化の通訳」登録事業
「日本語がわからなくとも、“協力できることはあるはず”」との視点から、行政からの情報を母国語で周囲の人たちに伝える「文化の通訳」登録事業を進めています。登録者を増やすため、また、日本の習慣や文化を深めてもらうため、日本人の住民を講師とする各種講座を行っているそうです。例えば、日本料理の講習の機会を活用してゴミの分別について共有したり、習字講習の機会を通じて、日本の冠婚葬祭時のマナーや習慣を知ってもらうよう、努めているとのことでした。

✓ 「外国人集住都市会議」
平成13年より、浜松市等、大泉町と同じく、住民に占める外国人の比率が高い基礎自治体の職員が集い、互いの取組みや教訓の共有、そして課題解決に向けた国や県、関係機関への提言や働きかけを展開しています。

■ Crossoverスタッフとの意見交換

トリップに先立ち、参考文献やネット上の情報等を通じた下調べをしてきたCrossoverスタッフでしたが、現場最前線で長年課題と向き合われている役場の方々から頂く具体的なストーリーは「目から鱗」の話ばかりでした。また、知恵を絞り、試行錯誤をしながら課題と正面から向き合う姿勢、そして住民の方々からの協力も得ながら、自ら日系ブラジル人のコミュニティに足を運ぶストーリーに、強く印象づけられました。

意見交換では、外国人住民に対する行政の対応に関する日本人住民の受け止め方、日本人住民と外国人住民の交流の程度、外国人住民に対する生活面での支援における企業の役割、町役場が多文化共生事業に割いている人員・予算の割合、外国人同士のトラブルの有無、防災訓練への外国人の参加等、幅広い論点が取り上げられました。以下、特に議論が盛り上がった論点について紹介します。

✓ 外国人/日本人住民の中から「キーパーソン」を見つけ、協働していく事の重要性
例えば、町の「ゴミ拾い」活動を展開されている日系ブラジル人の牧師さん、警察署の職員の方、そしてその活動に定期的に参加されている外国人・日本人の住民の方々は、多文化共生を根付かせるために必要な「顔の見える関係」を住民の間で創る上で大きな役割を果たされているそうです。役場が様々な事業に取り組む際も、こうした「キーパーソン」を見極め、共に取り組んでいくことにより、事業の効果が高まります。こうしたストーリーは、「複雑な社会問題解決に向けた多様な主体間の協働」をモットーとしているCrossoverにとって、大きな学びとなりました。

✓ 国が作る制度の見直しの必要性
失業手当、国民健康保険、年金等、今の様々日本の制度が、外国人が長く住むことを前提につくられていないことが、具体例を持って浮かび上がりました。また、例えば「児童手当」という国の制度への共通の訳語が政府から提示されていないことから、「似て非なる訳語」を基礎自治体が提示せざるを得ない状況となり、行政及び住民双方で混乱が生じる要因になるといった点も共有されました。こうした課題を共有頂いたことは、特に霞ヶ関で勤務するCrossoverスタッフにとっては大きな学びであり、今後本業に取り組む上での大切な視点を頂きました。

✓ 多文化共生に向けて企業の果たすべき役割
Crossoverには、企業で活躍するスタッフも多いことから、多文化共生や外国人の生活面でのサポートにおける民間企業の果たすべき役割についても議論の焦点となりました。「入管法改正に伴い、労働力の確保という恩恵を直接、且つ最も早く受けたのは大企業であるのだから、応分の役割を果たすことが必要ではないか」との意見が出される一方で、「外国人の雇用形態は、短期間で職を転々とする派遣であったり、あるいは、外国人従業員に対するきめ細かなサポートを提供する体力に乏しい中小・零細企業であることが多いことから、現実的に多くを期待するのは無理がある」、といった意見も出されました。企業の社会的責任がますます重視される傾向がある中、今後Crossoverとしても議論を深めていくべき論点です。

活発な意見交換は約1時間半に亘り続きました。Crossoverスタッフから次々と出される意見や質問に、大泉町役場のお三方は、一つ一つ丁寧に、そして示唆に富んだ回答してくださいました。日々大変御多忙な中、土曜日の午前中をCrossoverのStudy Tripのためだけに2時間もお時間を割いて頂いた加藤副部長、岩瀬課長、服部係長に、改めて、心より御礼を申し上げます。本当に有り難うございました!

 

大泉町内探索 with 大泉町観光協会

日時:6月16日(土) 13:00~16:00
場所:レストラン・カサブランカ/スーパーマーケットタカラ/ロディオ・グリル、他

大泉観光協会から来てくださったのは、笑顔が弾けるフレッシュな美女、富樫ジュリアナさん。ジュリアナさんには、まずレストラン・カサブランカ にて★大泉町の歴史紹介、★ポルトガル語ミニ講座、★ブラジル文化紹介をして頂きました。

ポルトガル語講座

✓ 基本の挨拶とお礼
こんにちは Boa tarde ボア タージ
ありがとう Obrigado(a) オブリガード(ダ←女性)

✓ 愛の言葉
私の名前は~です。Meu nome e ~ メウ ノミ エ ~
愛しています Eu tea mo エウ テ アモ
あなたはキレイです Voce e linda(o) ボセ エ リンダ(ド)

など教えて頂きました。ラテンな乗りで是非使ってみましょう!

ブラジル食文化の紹介

豆料理:フェイジョン(feijao) *カサブランカでも頂きました!

作り方:
1.豆(インゲン豆)を圧力鍋で柔らかくなるまで炊く。
2.油、にんにく、たまねぎ、ウインナーを炒めて、1の豆を入れる。
3.1の煮汁と塩を入れて、少し煮たてたら出来上がり!

伝統のカクテル:カイピリーニャ *ポルトガル語で「田舎者」という意味だそうです!
材料(1杯分):ライム 1/4個、グラニュー糖 小さじ1、カシャーサ酒(アルコール度40%のスピリッツ!) 70ml、氷
作り方:ライムのしぼり汁とグラニュー糖を混ぜ合わせる。カサーシャを流し込み、氷をたっぷり加えてよく混ぜる。

その他、小さなボール状のチョコレート菓子や、肉好きのブラジル人にとっての比須アイテムのドレッシングのレシピ、などを教えて頂きました。

Crossover一行は、隣のスーパーマーケットで、さっそく習ったレシピを試すべく、カサーシャとライム汁をゲット。夜の宴会は・・・元バーテン現官僚という謎の経歴を持つスタッフが作る、カイピリーニャと、ぐんま仕込みの日本酒とで、ブラジリアンな盛り上がりを見せました・・・。

ジュリアナさんから頂いたお土産
✓ ぐんまちゃんサンババージョンのミニタオル
✓ サンバぐんまちゃんクリアファイル
✓ 大泉町マップ
✓ ポルトガル語小冊子
✓ 冊子:ようこそ!日本のブラジル「おおいずみ」

美味しいランチに舌鼓を打った後には、大泉町での暮らしを体験しようと、ブラジルの商品を多く扱うスーパーマーケット タカラへ。どのようなブラジルらしい商品があるのかと期待に胸を躍らせながらタカラへ向かっていると、なんと入り口にサンバの衣装を着た美しい女性が。偶然カレンダーの写真撮影をしているとのこと。感激している私たちに気がつくと、満面の笑顔で手を振ってくださり、撮影中でお忙しいにも関わらず、記念撮影にまでお付き合いいただきました。突然のサンバ美女の登場に私たちの期待はますます膨らみます。

タカラの中には、珍しいスパイスやお菓子、ジュースなど、あまり見たことのないブラジルの食料品がずらり。ガラナのジュースやカシャッサというお酒もたくさんの種類があり、買い物を楽しみました。そして様々な商品を眺めながら、海外に滞在している時に日本の食料品を見つけた時のほっとする気持ちを思い出しました。味噌や醤油など日本のスーパーマーケットに置いてあるスタンダード商品も同様に陳列されており、「日本のブラジル」の呼称を持つ大泉町らしさの溢れる商品棚でした。

買い物の後には、店内にある レストラン ロディオ・グリル へ。急遽、店長の宮崎マルコ・アントニオさんのお話を聞く機会をいただけることになりました。

日系二世のマルコさんは2003年に日本に移住。マルコさんはブラジルでは収入の高い歯科医師でしたが、暮らしていた地域の治安が悪化し、車が盗難にあったにも関わらず、返却費用を警察に不当に要求される事件をきっかけに日本に渡ることを決めたそうです。

ずっと日本で暮らすとは考えていませんでしたが、ブラジルの治安がなかなか改善しない等の理由から日本で長く暮らすことに。

現在はレストランを経営するだけでなく、地域の清掃活動や日本語教室など、大泉町に住む外国人と日本人の架け橋となる活動をされています。マルコさんは待ち合わせには5分前には必ず着く等、マナーをとても大切にされているそうです。それは自分が時間に遅れてしまうと、ブラジル人は時間にルーズと思われてしまうかもしれないからとのこと。常にブラジル人の代表という意識を持ち続けていることにとても感激しました。

4月に起こった熊本地震の際には、「大変な人たちに対して何か手助けをしたい」という気持ちから募金活動を実施し、大泉町の外国人コミュニティからたくさんの寄付を集めたとのこと。「どうして募金活動をしようと思ったのですが?日本だからですか?」という質問に「どこの国というのは関係なく、何かしたいと思ったから実行しました。」と真っ直ぐに答えるマルコさん。「目の前に大変な人がいたら、自分にできることをする」というシンプルなマルコさんの行動指針が、大泉町で暮らすたくさん方達を勇気づけてきたのだろうなと感じました。

多文化が溶け込んだ大泉町の生活を堪能することができました。ジュリアナさん、マルコさん、素敵なおもてなしをどうもありがとうございました。

 

NPO法人 Jコミュニケーション 職員の皆さんとの意見交換

日時:6月17日(日) 10:00~12:30
場所:群馬県伊勢崎市 伊勢崎駅前 Jコミュニケーション事務所

Study Trip 2日目午前は、宿泊先である薮塚温泉の「開祖・今井館」から伊勢崎市へと移動。同市内で日本語が全く出来ない子や、日本語の話す・聞くは出来ても、学校の教科書の日本語が分からない小学生・中高生を対象のために、「子ども日本語教育・未来塾(以下、未来塾)」を開設し、支援者が日本語を一対一で教える活動等を展開している NPO法人Jコミュニケーション の高橋代表、本堂理事、秋山理事とお話をする機会を頂きました。

(参考:2015年度の支援実績 生徒数 82名、支援回数 88回(179時間))

なお、伊勢崎市には、全人口20万人の5%に当たる約1万人の外国人が暮らしています。この人数は群馬県内最大であり、その出身国はブラジル、ペルー、フィリピン、中国、ベトナム等、多岐に亘ります。私たちが意見交換をしている間にも、パキスタン出身の女の子が、10月末の中学校卒業程度認定試験の勉強をするために、Jコミュニケーションの施設に訪れていました。

伊勢崎で暮らす外国人住民のなかには、派遣会社経由の不安定な職にしか就くことが出来ない、日本の社会制度を上手く利用できない、あるいは文化や習慣の違いをどう乗り越えたら良いか分からない、といった問題を抱えている人が少なくありません。

そして、こうした問題の根っこには日本語力の不足があると髙橋代表は指摘します。日本語力の不足故に、外国人の家庭は地域社会から孤立、経済的にも困窮し、子供の教育を考える時間的・経済的な余裕が無くなっていく、これが、外国人の子供の不登校や不就学につながる、と言った問題を生み出しているそうです。

また、日本語も母国語も中途半端な状態となった子供達は、年齢相応の学力が付かないまま中退に追い込まれていくほか、「友情」、「平和」、「愛」、「尊敬」といった抽象概念を理解する能力を身に付ける機会を逸してしまう。このような状況を放置すれば、貧困と教育問題の世代間連鎖が続くほか、地域が断絶・不安定化してしまう可能性もあります。

未来塾は、「一人一人の子供と向き合う」、「困ったときは一緒に考える」、「点数を付けて評価しない」、「先輩は良きロール・モデルとなることを目指す」といったことを大切に、子供達に「学習の場」だけでなく、自分を認めてくれる「居場所」を提供し、自分で何かを考え、自分で決められる“自律”を後押ししています。また、未来塾に来てもらうだけでなく、未来塾の支援者の方々が地域の小中学校を訪問し、日本語学級での指導をお手伝いされているというお話も伺いました。

お話の中では、年齢が学年で決まる「学齢主義」や、相当の学力が無くても進級する「落第無しの制度」、あるいは「学校年度が4月~3月」等の「日本では当たり前の教育制度」が、「世界の多くの国では当たり前でない」こと、そしてこうした日本の教育制度や慣習が硬直的であることが、外国人の子供の就学や進学の壁となる具体的なケースも紹介頂きました。

お話の最後には本堂理事から「相手と自分の違いを知り、自分の価値を認め直し、相手と一緒に新しいものをつくり合う」ことの大切さについて強調頂き、また、こうした心の姿勢を子供の頃から培っていくことが、グローバルに活躍できる人材を育てていくうえで必要であるというメッセージを頂きました。

Crossoverスタッフとの意見交換では、未来塾の今後の課題として、継続的な運営や、さらなる目標の実現のために、支援者の数を増やしていかなければならないこと、そのための財源を確保しなければならないこと等についてお話を頂いたうえで、どうしたら行政や企業と信頼できる長期的な関係を築き協働できるのか、といった点について、活発な議論が交わされました。

最後になりますが、長時間に渡り、どんな質問にも丁寧にお答えいただいた、Jコミュニケーションの高橋代表、本堂理事、秋山理事、本当にありがとうございました!

 

グルメ☆レポート ~ブラジルとぐんまの美味しい食巡り~

ブラジル料理編

ブラジル料理といえば、やっぱり、肉! 肉! 肉!

最近暑くなってきたし、仕事もなんだかんだ忙しいし、夏バテ気味な毎日。そんな日は、肉を思い切りかぶりついて、スタミナを付けたい!ということで、前からかなり楽しみにしていたブラジル料理。期待を大にして、お店に突入。
お店に入ると、スパイスの匂いだろうか、独特の食欲をそそる匂いがしていた。気分はもうブラジルだ。

「各自好きに取りに行ってください」という声を待ってましたといわんばかりに、一目散に食べ物を取りに行った。中央には野菜や果物その他ばかりで、あれ肉は??と思っていたら、奥の方に「肉コーナー」があるではないか!

そこにあったのは、肉!肉!肉!の肉三昧パラダイス。なかでも肉の塊(写真参照)を見たときに、僕のテンションはマックスに達した。味付け肉と、肉串を取って、塊肉を取って、お皿がほぼ一杯に。

肉コーナーの隣には、キャットフィッシュのフライなるものが。なんだろうと思っていたら、「うわーナマズだ!」との声が。どんな味がするのか怪しさ満点であったが、フードレポーターを任された以上、取らないわけにはいかない。そうこうしているうちに、穀物も野菜も一切載せていない肉プレートが完成した。

はやる気持ちを抑え、テーブルに着く。そして肉にかぶりつく。

んんん! 肉だ! うまい! 思った通りの美味さだ!

シンプルな味付けだが、スパイスと肉の素材そのものの美味さが伝わってくる。特に、味付け肉と肉串が最高に美味い。ケバブに近いような味で、シンプルな味付けなので、それほど重くもないが、肉を食べているという感じがダイレクトに伝わってくる。そんな味だった。これなら何回でもお替わりできそうだ。

サンバを踊りながら、みんなでワイワイ盛り上がっているときに、こんな肉料理を食べられたら最高な気分だな、と思った。

さすがに肉ばかり食べるのは健康に良くないので、最後に野菜と果物を取り、食事を終えた。
やっぱり肉は最高だね! 美味しかった! 気分はもうブラジル! 最高!

焼きまんじゅう編

何回か群馬名物は食べる機会があったが、今回のトリップで一番印象に残っている群馬名物といえば、なんといっても「焼きまんじゅう」だろう。
まんじゅうといえば、中にあんこが入っていて、甘く味付けしてあって、というのが一般的だろう。焼きまんじゅうは、そんなイメージを大きく崩してきた。

まず、あんこが入っていない。そして何より、甘い味噌だれをかけて、炭火で焼くというのだ。もはやこれはまんじゅうと呼べるものなのか甚だ疑問であるが、店頭で炭火で焼いてくれるまんじゅうが美味しそうなので、とりあえず1人1本ずつ注文。

味噌だれのまんじゅうって、どんな味がするのだろう。ジンギスカンキャラメルのような変な味がするのではないかと不安がよぎる。

「できたよ!」というおじちゃんの声とともに、焼きまんじゅうが姿を現した。焼きまんじゅうを見て、まず一言。でかい!想像の2倍くらいの大きさであった。そして、一面に立ち込める、甘く香ばしい香りに包まれた。そして、おそるおそる一口。

ん? 甘い? あれ、美味しい!!!

想像していたものとは大きく異なり、かなり美味しかった。味噌のほのかな塩加減と、甘さが絶妙なバランスを生み出していた。中はふんわりとしていて、重くもないのでパクパク食べられる。あっという間に完食してしまった。

餡入りあるとのこと。せっかくなので餡入りも試してみたくなり、餡入りも追加で注文。餡入りは餡の甘さが追加され、これまた美味しいものだった。ただ、個人的には餡なしの普通の焼きまんじゅうの方がシンプルで美味しいかなと思った。

群馬の隠れた魅力に触れた瞬間であった。群馬帝国、恐るべし。

 

社会福祉法人 「あかつきの村」 職員の方々との意見交換

日時:6月20日(日) 13:30~16:00
場所:群馬県前橋市内 「あかつきの村」施設内

知る人ぞ知るローカルなお店で「群馬名物焼きまんじゅう」を昼ご飯代わりにほおばって小腹を満たしたCrossoverスタッフは、伊勢崎市から前橋市へと移動、市街地から山間の細い道を上った先にある施設 社会福祉法人フランシスコの町 あかつきの村 を訪問しました。

今回、Crossoverスタッフを迎えて下さったのは、「あかつきの村」に泊まり込みながら、施設で暮らす人々の支援や施設の運営に取り組んでいる桜井さんと教会の元シスターであった佐藤さん。精神保健福祉士としての資格や専門知識もお持ちの桜井さんは、この村の日常について、直面する困難や得られた喜び・学びを交えながら、淡々と、時にとても自然な笑顔を浮かべながら語って下さいました。

貧困、失業、ホームレスなど社会から疎外された人々を自給自足の共同体での生活を通じて救援する「エマウス」と呼ばれる運動の拠点として、開拓者精神と慈愛に満ちた故石川能也神父によってつくられた「あかつきの村」は、1980年代に、ベトナム戦争、インドシナ紛争により命懸けで母国を逃れざるを得なかった人々-“ボート・ピープル”と呼ばれたインドシナ・ベトナム難民-の受入拠点として、四半世紀に亘り300名を超える難民の一次受入れ、及び定住促進のための支援を行ってきました。私たちの訪問のために準備いただいた「あかつきの村 ベトナム難民 受入れ25周年記念誌」の冊子には、こうした活動の第一歩を踏み出し、長年継続してこられた石川神父からの以下のメッセージがつづられていました。

「イエスが叩いている、開けなければ、誰かが開けなければ・・・」

なお、現在この施設で暮らしているのは、ベトナム人4人に対し日本人が6人(平成19年時点ではベトナム人8人、日本人2人)と、設立当初から大きく状況が変わっています。この背景には、「ベトナム人のためだから」ではなく、「困っているなら、相手の属性は問わない」という哲学があるそうです。

この村で暮らしてきた人々の中には、共同生活を通じて惹かれ合い結婚、めでたく村を「卒業」して自ら家を構え、日本社会で立派に暮らしていかれている人もいれば、第三国(主としてアメリカ)へと移っていった人、あるいは病気や自殺で亡くなった方もいるとのことです。

紛争により、あるいは海を渡る途中に、目の前で家族や大切な人を亡くした恐ろしい経験は、心を覆う大きな陰となり、重度の統合失調症に伴う幻聴・幻覚というかたちで本人を苦しめ続ける例も希ではとのこと。

ただ、難民全体の統合失調症の比率は日本人の平均とあまり変わらず、難民であることと、精神疾患の発症との間に因果関係があるかは不明だとも言われました。

普通なら精神病棟での療養が妥当であるこうした精神障害を抱える入居者とスタッフが、壁を隔てること無く共同生活をしているあかつきの村では、スタッフが疲弊したり、入居者同士のけんか等のトラブルがあったのも事実、とのことでした。しかし、こうした困難があっても、「何を見ても決して驚かず、怒らない」石川神父のおおらかな人柄が支えとなって、基本的には和やかな共同生活のなかで、何とか困難を乗り越えてきた、と桜井さんは振り返ります。

施設周辺で暮らす住民の方々との関係については、村で働くシスター達の仲立ちもあり、騒音等のトラブルがあっても、ベトナムの人々が背負っている重く辛い経験に思いを馳せた上で、最後は、心広く受け入れてくれたそうです。

また、桜井さんも、地域住民の方々との良好な関係をつくるため、「電球が切れてしまったのだけど、背が届かなくて取り替えられない」、「草むしりができない」といった地域のお年寄りの生活上の問題解決の力になるために、ベトナムの人たちと一緒に積極的に家庭を訪問するといった努力を続けてこられたそうです。

食堂でお話を伺った後、桜井さんは「あかつきの村」の広々とした敷地を案内して下さいました。かつて難民の人たちが暮らしていたプレハブ式2階建ての建物の一部屋に足を踏み入れると、4畳半程度の床には、生活感を伝える文房具や書籍、服などが雑然と積み上げられ、壁にはポスターが貼られたままになっています。

ここでCrossoverのメンバーは衝撃的な事実を知りました。

「ここは、数年前、あるベトナム人が焼身自殺した部屋です。入口の壁に落書きがあるでしょう。ベトナム語でこう書いてあるんです。“俺は日本の犬だ。見下げた犬野郎だ。父さん、母さん、生まれてきてごめんなさい・・・”」

「統合失調症に悩まされながらも、家族と再び暮らすことに一縷の望みを託して生きてきた彼を、ある時、石川神父がベトナムに連れて行きました。長年の夢だった家族との再会。しかし待っていたのは余りにも過酷な現実でした。

病床に伏していた両親を含む家族の面倒を、体にむち打ちながら農業で支えていたお兄さんが石川神父にこう耳打ちしたのです。“こんな状態であいつを養うのはとても無理だ。神父さん、どうか日本に連れて帰って欲しい・・・”。」

「あかつきの村に戻って二週間後でした。彼が焼身自殺をしたのは。」

出すべき言葉が見つからないまま、雑然とした空間を見つめるしかないCrossoverのスタッフに対して、桜井さんはこんなことをつぶやきました。

「色々なことがあります。でも、辛いことばかりではない。皆で食事したり、冗談言って笑いあったり、仕事の押し付け合いをしたり、仲直りしたり・・・ごく普通の日常がある。辛い過去や現実と向き合う支えとなるのは、こんな普通の人間関係かもしれない。」

「私が学んできた精神医学の常識に照らせば、あかつきの村のありようは、非常識と思えることもあります。例えば、スタッフと施設入居者、あるいは入居者同士の距離も近すぎる。重度の疾患を抱えていた彼のようなケースに対して、精神療法の理論的処方箋を純粋に適用するならば、塀で隔離し、スタッフとも適度な距離を保つことが「常識」でしょう。

そして、「あかつきの村」がそうしたセオリーに基づく運営をしていれば、焼身自殺のような辛い事故はひょっとしたら起こらなかったかもしれない。でも、そんな環境で暮らしたとして、その人は、本当に「生きた」といえるのだろうか。僕は分からない…」

降り始めた小雨の中を、桜井さんに導かれて向かった先は墓地でした。多くの人の心の支えだった石川神父の墓石は、歴史の渦に翻弄されながら難民として辿り着いた日本が終の棲家となったベトナムの人々の墓石に囲まれていました。

今回の訪問を通じて、最も強く印象に残ったのは、終始、桜井さんが明るかったことでした。とてつもない困難を長期間経験しながらも、失敗や躓きも含めて、全ての平気で他者と共有する強さ。とても、真似できるものではありません。百の理屈は、一つの行動に勝てない、それを見せつけられました。

 

旅の総括
~ Crossoverスタッフに一人一人にとって、最も印象的だった出会い・時間とは?~

日時:6月20日(日) 16:30~18:00
場所:東部伊勢崎線 館林駅近くの天ぷら屋

一泊二日という短い時間でしたが、印象的で濃密な出会いや対話に満ちたスタディ・トリップは、Crossoverスタッフの右脳と左脳、そしてハートにどのような気付きや学びを残したのか?土曜日朝の集合場所だった、東武伊勢崎線館林駅まで戻ってきた私たちは、駅近くの天ぷら屋でそれぞれの想いを共有しながら旅を振り返る時間を持ちました。

以下では、レポートの締めくくりとして、「最も印象的だった出会い・時間は?」という質問に答える形で各自が共有した旅のハイライトを紹介します。

☆ 健一(歯科医) ⇒ ロディオ・グリルの経営者、宮崎・マルコ・アントニオさん

ブラジルで歯科医として安定した生活を営んでいたが、「立て続けに犯罪被害にあったことにより国に対する信頼失い、日本への移住を決意した」という経緯、そして日本で言語や文化の違い等の壁に直面しながらも、これらを乗り越え、牧師さんや警察官とともに日系ブラジル人と日本人との交流を促進するためのゴミ拾い活動や、3.11及び熊本地震被災地のためのボランティア活動グループの立上げと展開等の活動に取り組まれている姿に感銘を受けた。

☆ はるちか(国家公務員) ⇒ 大泉町役場の方々からのお話

「外国人労働者を受けいれる」からには、労働力だけでなく、その人の生活、家族、そして人生も含めて受けいれることが求められることに気付かされた。現状、基礎自治体が、その受け皿として責任とコストを引き受けているが、外国人を労働者として受け容れることによる利益を直接・間接に享受している企業や都市部の消費者は、応分の負担をしていないように見える。こうした受益と負担のミスマッチのバランスを如何にして採ることが出来るか、その際、町議会の役割は何か、今後思考を深めていきたい。
また、あかつきの村におけるベトナム難民の方の焼身自殺のストーリーをはじめ、移民として日本に来た外国人の苦難に目がいきがちになるが、「かわいそうな人だ」という視点のみで接すれば、彼らはますます苦しくなるのではないか。辛い経験があっても、日本の日々の暮らしの中で、“木漏れ日のような幸せ”を感じる瞬間が一人一人にきっとあったはず。そういう幸せを共に祝福することが、国籍の違いを超えて、一人の人間同士として関係を創るうえで大切ではないか、と感じた。

☆ 馬見新(会社員) ⇒大泉町役場の方々からのお話

これまで「移民」を巡る問題を、「企業で働く外国人と日本人との融和や協働をどうやって促進できるか」という視点のみで考えていた。しかしお話を聞く中で、職場にける人間関係が、その人の子供の教育や生き方にまで多大なる影響を与えることを知り、雇用と教育との間に密接な関係があること、そして日本人と外国人を同じ視点で捉えることが求められることに気付くことができた。

☆ 上杉(国家公務員) ⇒ 「J-Communication」の取組み

画一的・平等な対応が求められる行政の手の届かないところに、きめ細かな個別対応をされている話が印象的であった。行政(国・県・市町村)及びNPOそれぞれの強み・課題や役割について理解が深まった。

☆ くどー(会社員) ⇒ 「あかつきの村」の櫻井さんのお話

重度の精神障害を煩い帰郷を試みるも唯一の心の拠り所であった親族から生活苦を理由に共に暮らすことを断られて「あかつきの村」に戻った末、焼身自殺で果てたベトナム人難民の方のストーリーに心を打たれた。外国人受入の議論をする際に、マクロ経済や統計の視点ばかりに目が行きがちだったが、一人一人が背負っている人生と向き合うことの大切さに気付かされた。
「J-Communication」の取組みについては、自分にとって馴染みに感じられる中堅地方都市の駅前商店街で行われているという意味で印象的であった。

☆ 國ちゃん(行政書士) ⇒ 「あかつきの村」の櫻井さんのお話

全体的に非常に印象的な話ばかりであったが、最後の訪問先である「あかつきの村」に“とどめ”を刺された感じ。ただ、居場所を求める気持ち、孤独感に苛まれる苦しみ、そして精神疾患と共に生きる辛さは、外国人や難民に限った話ではなく、日本人にも起こること。言葉・文化の壁など、外国人に特有の問題もあるが、外国人を徒に特別視しすぎず、日本人と同じ目線で考え、接することが大切ではないか。

☆ 中江(国家公務員) ⇒ どれも印象的であった

多文化共生社会を目指す途上で、戸惑い、驚くこともあろうが、「その人の立場に立ってみたら、自分はどうするだろうか?」と想像し、理解することが大切であることを学んだ。
ただ、そうしたマインドセットを持って日々取り組んでおられる人から「行政は信用できない」という発言があったのは残念であり、またそういう人とこそ、行政職員は話を深めていくことでお互いわかり合う努力をする必要があると感じた。

☆ あおい(サービサー) ⇒ J-communicationの取組み

J-Communicationの活動をされている方々からのお話に耳を傾けることを通じて、これまで自分が長年本業として取り組んできたサービサー業務で直面していた問題の根本的な原因が何かを気付に至った。それは、自分と異なる存在に出会った時に、それを認めるのではなく、排除してきたことであった。

☆ きーぜにー(団体職員) ⇒ どれも印象的であった

これまでCrossoverを通じて、人口減少への対応、そして多様性と議論を続けてきたが、理屈や数字だけで軽々な議論をしてはならないと痛感した。自分が、地域が、日本が「人の一生を受け容れる覚悟があるのか否か」真剣に向き合うことが必要であると感じた。この点、「あかつきの村」のスタッフの桜井さんの以下のお話は本当に考えさせられた。
グローバル化が進展し、世界がこれまで以上につながりを深めていく中で、「トライセクター・リーダーシップ」を発揮しながら、垣根を越えて機会を掴み活躍できる人材が目立つが、一方で、こうした「垣根が低くなる世界」に翻弄される人も増えていることに思いを致した。たとえば、リーマン・ショックを機に帰国を余儀なくされた人、生活保護に落ちった人は、「経済難民」と言えるのではないか。

☆ なお(国家公務員) ⇒ J-Communicationの本堂さんのお話

海外経験を含む日立での30年のサラリーマン経験を経て、外国人の家族と向き合いながら彼らの支援をしていく姿が、最近他界した父の姿と重なった。母は日本語教育の資格を取って将来父とともに外国人の支援をしていくことが夢だった。今はもうその夢を兼ねることはできないが、自分が自分の人生を通じて、両親の夢をかなえていけるような存在でありたいと、改めて感じた。

大泉町町役場の職員の皆さんと話しながら、Crossoverの持つ強力な意義を改めて感じた。即ち、地方自治体の職員の方との意見交換は、本業やNHLWを通じてでも形式上はできるが、そこでの会話は、「(中央省庁の対応に不満を持つ)自治体職員―(不満に対して自らの言い分を伝える)中央省庁職員」というゲームのルールから本質的には逃れることができず、どうしてもボトルネックにはまってしまう。しかし、様々な業種で活躍する「Crossoverスタッフ」という立場であれば、個人、行政職員というアイデンティティでは見えなかった視点や作れなかった関係が作っていけるかもしれない、という希望を持つことができた。

☆ くま(地方公務員) ⇒ J-Communicationの本堂さんのお話

人と人とがつながり、コミュニケーションを成り立たせるには、言葉を覚えなければならない。しかし単語だけでは、「家族」、「愛」、「平和」といった抽象概念は理解できない。こうした抽象概念は、人と人との関係性の中で理解が進むものである、という本堂さんのお話に胸打たれた。
また、「人は誰しも、誰かの役に立ちたい」という思いを持っており、この思いを「感謝の言葉」が満たしてくれるということ、「感謝の言葉をかけてくれるところが居場所となる」というメッセージにも深く心に刻まれた。

☆ いけちゃん(国家公務員) ⇒ 温泉宿でのくまさんとの腕相撲決戦

本トリップの最大のハイライトとして、温泉宿における飲み会の真っ最中に開催した「熊と大蛇腕相撲対決」に勝利した!にも関わらず、賞品がピニャコラーダの一気飲みであったことに失望した。しかし、トリップを通じて、Crossoverスタッフの絆が深まったことは、これからの活動、そして人生にとって何よりも大きな財産となると思う。

☆ しろ(団体職員) ⇒ 大泉町町役場職員の方々との意見交換

役場職員の加藤氏から頂いた「多くの日本人が安くて良いものを求めすぎるから、そのしわ寄せが地域や外国人労働者に行くのだ」というお言葉が印象的であった。今までのCrossoverでは外国人労働者の問題は少子化に絡めて話されることが多かったが、絶対的な労働力不足ではなく、賃金抑制のために外国人労働者が使われるという視点は、現場ならではのものだと思う。

☆ ちょり(報道機関職員)⇒ 大泉町観光協会のジュリアナさん

大泉という町の持っている財産をどう使うのか、人に魅力的に思ってもらうにはどうしたらいいのか、そんな試行錯誤を観光協会はしているのだなと感じた。純粋に魅力的に見せる、感じてもらうというのは、とても大事なことだと思う。

☆ 宮野(会社員) ⇒ 大泉町役場の方々からのお話

日本は良くも悪くも外国人には閉じた国であると感覚的に感じている。それを裏付けるように日本の総人口に占める外国人比率は1.67%とのこと(2014/10時点。内閣府HPより)。その日本で大泉町の外国人比率は16.70%(大泉町役場職員から今回配布された資料より。)と、先にあげた全国平均の約10倍である。そんな大泉町役場職員の方々から外国人との共生への取組みに関する話が聞くことができ、非常に有意義な時間となった。

☆ アーロン(会社員) ⇒ どれも印象的であった

既にある単一文化・コミュニティに外から来る外国人(異なる育ち・言語・肌・考え・文化)に対し、多様性を嫌い、気に食わない面白くないが理由で個人攻撃をするような陰湿な争いや、陰口で生まれる品のない虐めは、現代社会で発生する多くの人権侵害の根源だと思う(日本人同士だったとしても、非常に多く見られるが・・・) 。非なんちゃら三原則じゃありませんが、「しない、させない、許さない」が私の心情であり、人として最も許し難い行為。
多様化が進むコミュニティに対応する行政の公共サービスに感心するだけでなく、そこに住む住民の方々の「寛容性」や「生き方」も学ぶべきだと思いました。Internet、SNS によるデジタルコミュニケーションの主流化によって、人と人との直接的な接点が希薄化している現代社会で、何をしたら人が不安に思い、また傷付き、悲しむか。人として失うべきではない思いやりや気遣いに、重要な共通点があると今回のStudy tripを通じて再認識できた。

☆ ちょこ(報道機関職員) ⇒ ロディオ・グリルでの、宮崎・マルコ・アントニオさん

移民の方の震災支援NPOの存在を知り、そして支援への思いを伺うことができた。日本での感謝の気持ちから、と言っても中々実行出来ないこと。宮崎マルコ・アントニオさんが、日々、大泉町で日本人、移民の方との信頼関係を築いているからこそ、大泉町役場の方の取組みがここに繋がっているのだなと感じた。また、「今まで、何となくでしか考えてなかった事柄に、問題意識を持ち話をする」こと、これを実践することの大切さを学んだ。

 

陸前高田スタディ・トリップ 旅の足あと ~バ・バ・バ・バ!半端ない魅力・活力と出会う旅~

陸前高田スタディ・トリップ 旅の足あと ~バ・バ・バ・バ!半端ない魅力・活力と出会う旅~

2014/11/01-03

 

 

陸前高田スタディ・トリップ

旅の足あと

~バ・バ・バ・バ!半端ない魅力・活力と出会う旅~

 

 

1.はじめに


ホヤ、カキ、ホタテやワカメといった魚介類・海藻の養殖や風光明媚な高田松原で知られ、海沿いの平野部に市役所やJR大船渡線の駅などが集まっていた岩手県陸前高田市は、東日本大震災の津波により人口の約7%に当たる1,771人もの市民を亡くし、約9,000世帯のうち全壊約3,159戸を含む3,368戸が被災しました。
人口は震災前の約2万5千人から約2万3千人まで減少。震災発生以前からの課題であった農業や中小・零細企業の後継者不足、若者の流出、そして人口減少がより一層先鋭化する中で、被災から約3年半が経過した今、市民の生活・仕事の再建を軌道に乗せる様々な取組みや事業とあわせて、長期的に目指すべき「私たちの街の姿」を思い描き、それを実現するための試行錯誤が続けられています。

今回、11月初旬の3連休を利用して、官民協働ネットワークCrossoverのスタッフ9名(池田、川合、識名、城、菅原、田中宗介、田中里沙、福嶋、三宅)は、復興の現場第一線で戦っている人々の声に耳を傾けながら、復興の現状や今後の課題について学ぶべく、陸前高田市を訪問しました。
陸前高田市は、Crossover創設メンバーの一人であり、これまでその活動に貢献してきた久保田崇君が、2011年8月以来、副市長として、戸羽太市長を支えながら、市役所の職員の皆さんや市民の方々とともに、復興に汗をかき、知恵を絞っているという意味で、Crossoverのスタッフにとって、ご縁のある土地でもあります。

そんな陸前高田の街でCrossoverのスタッフを待っていたのは、街の厳しい現状や将来の見通しを冷静に見据えつつも、広い視野とアイディア、地にしっかりとついた足、機会を求めて貪欲に飛び回るフットワーク、走りながら懸命に考え抜く知的・精神的耐久力、そして故郷への強い想いをもって圧倒的に困難な課題と向き合い、そしてそれを乗り越えていく、強くて優しい人々との出会いでした。

忘れがたい対話や風景との出会い満ちた濃密な3日間を象るキーワードを敢えて一つ上げれば、「自立と共生」。人間も、地域も、そして国も、自分の足で立たなければ明日はない。しかし、自分だけ立とうとしても、長く立ち続けることはできない。
厳しさと愛情を胸に抱きながら、自分を超えた誰か、何かに尽くすために、自分を磨き続ける生き方の尊さとカッコよさを教えてくれた、陸前高田で出会った皆さんとの時間を、その時に感じた思いを、賞味期限が永遠に来ることのない「真空パック」に閉じ込めて、未来の自分に届けるべく、旅の足跡をまとめました。
陸前高田の皆さんへの感謝とエール、そして陸前高田を育んできた自然と歴史への敬意を込めて。

官民協働ネットワーク Crossover
スタッフ代表 池田洋一郎

 

2.全体スケジュール


11月1日(土)
7:40~9:44 東京駅 → 一ノ関駅
10:00~12:00 一ノ関駅 → 陸前高田市(by レンタカー)
12:00~13:30 オリエンテーション&復興概況説明
@陸前高田市役所(久保田副市長、桑原さんより)
・今回のトリップ行程と陸前高田市復興の全般的な説明
13:30~15:00 アップル・ガールズ菊池清子さんのお話@米崎街和野会館
・手作りのお弁当をいただきながら避難所の様子等
15:00~16:00 市内視察(一本松(チラ見)、巨大ベルトコンベヤ、被災道の駅、震災情報館等)
16:00~18:00 八木澤商店河野通洋代表取締役社長の講話@箱根山テラス
・中小企業の立て直し、今後の展望等について
18:00~22:30 懇親会@市内の居酒屋「参吉」
22:30~ 就寝@箱根山テラス / 2次会
11月2日(日)
7:30~ ツールド三陸 開会式@高田第一中学校仮設グラウンド
8:00~9:30 ・久保田さん、宗介の出走見送り
9:30~12:00 奇跡の一本松との対面(麓まで)
12:00~ 横田町「あゆの里まつり」
14:00~ 帰京第一陣(福島、三宅):陸前高田市から気仙沼経由で帰京
広田町仮設住宅の皆さん、大船渡高校の高校生との対話@広田地区の仮設住宅
・自分達の状況や悩みが行政に必ずしも届いていない、汲み取ってもらえていないと感じている人達と向き合う時間
16:30~20:46 帰京第二陣(菅原、田中×2):陸前高田市 → 一ノ関駅 → 大宮駅
11月3日(月) 池田、川合、識名
9:00~10:30 米崎町リンゴ農家訪問
11:00~13:00 気仙椿ドリーム・プロジェクトのメンバーと椿の種拾い、意見交換
14:30~16:00 NPO法人Save Takada訪問 意見交換

 

3.各ミーティングの様子


① 陸前高田市役所訪問

・JR一関駅で借りたレンタカーを走らせること約1時間半(うち一名は一関から自転車を走らせること約2時間半…)、冷たい雨が降る中でプレハブの陸前高田市役所前にたどり着いたCrossoverスタッフを笑顔で出迎えてくれたのは市役所職員の桑原祥作さん。
桑原さんは、今年5月までリクルート・ライフスタイル社で旅行サイト「じゃらん」担当として活躍されていたが、今は、被災地が必要とする人材を企業等から現地に派遣するために復興庁が用意した「Work For東北」プログラムを通じて陸前高田市に赴任、現在、観光と復興を結び付けるべく奮闘している。

・Crossoverスタッフは、市役所のミーティングルームにて、翌日に開催される「ツールド・三陸」イベントのスタッフのロゴがプリントされたグリーンのTシャツに身を包んだ久保田副市長から、被災前、直後、そして現状の写真とプレゼンテーション資料を基に、津波の被害、復興の現状と課題について30分程度の説明を受けた。久保田副市長からの説明のポイントは以下の通り。

- 津波により、陸前高田市役所庁舎は屋上まで水没し全壊。職員295名のうち68人、約4分の1を失った。残された職員の多くも、例えば、奥様を亡くされた戸羽市長のように、家族や家財を失い、自分の生活の基盤を立ち上げなければならない被災者の一人。
他方、市職員としての業務量は膨大で震災前の数倍に膨らんでいる。そんな陸前高田市役所をサポートするべく、他の自治体や民間企業から派遣されている桑原さんのような応援職員は40名に上るが、全体の職員数は震災前の水準にすら届いていない。

- 極めて厳しい状況だが、水没して使用不可となった建物の解体も含め、がれきの処理は100%終了、鉄道もバス形式(BRT:Bus Rapid Transit)で全路線再開するなど、復興の基盤整備はおおむね終了。現在は本格的な復興を展開するフェーズに移っている。

- 目下の最重要課題は住宅再建。高台での住宅造成工事は一部着工しているものの、未だ被災者の70-80%程度が仮設住宅住まいを続けている。仮設住宅は狭くて寒く、防音がされていないため、プライバシー確保にも難あり。また、小中学校のグランドに建設されているため、仮設住まいが続く限り、児童はグランドを利用することはできない。

- 移転先となる高台の盛り土や防潮堤の造成に必要な土は近隣の山を削って確保。この土を、山から海辺の平地まで運ぶために全長約3キロメートルの巨大な橋のようなベルトコンベアがつくられ、今年4月から稼働している。土の総量は東京ドーム約5万個分であり、トラックで運べば9年はかかるところ、ベルトコンベアのおかげで1年2か月に短縮される。

- 「防災集団移転促進事業」に基づき、市は被災者から被災前の所有地を買い取る。被災者はその資金等を元手として高台に一世帯100坪上限で土地を買い取り、その土地に新居を立てることになる。一方、「災害公営住宅」への入居・賃貸も可能。なお、公営中の家賃は所得に応じることとされている。

1 岩手・宮城・福島3県の32沿岸市町村のがれき処理・処分割合は、災害廃棄物97%、
津波堆積物92%(平成26年3月末現在、出展:復興庁「復興の現状」)

2 被災地全体の進捗状況は以下の通り(平成26年3月末現在、出展:復興庁「復興の現状」)。
復興住宅:用地確保済み:81%、整備完了:11%
防災集団移転:事業計画の住民同意:100%、造成工事着工:92%、工事の完了:22%

 

② アップル・ガールズの皆さんとの昼食・対話

・アップル・ガールズはリンゴ農家などを含む、かわいくて、明るい地元のお母さんたちのグループ。津波を機に、「落ち込んでばかりいるのではなく、自分たちで何かできることはないか」という想いで立ち上がり、相互の助け合いネットワークを構築、様々な活動を続けてきた。

・地元の食材をふんだんに使った手作りのお弁当とお漬物、広田湾で取れた新鮮な生カキや分厚いホタテ、甘味のようなサツマイモ、地元産のリンゴでつくったリンゴ・ジャムなど、食べきれない程の昼食を用意して下さり、Crossoverスタッフ一同、皆心もお腹もいっぱいに。

・食後の運動もかねて、アップル・ガールズのプロデュースでつくった「奇跡の一本松」を祈念する歌「陸前高田の松の木」を4番まで皆で歌って踊る。7万本の期の中で、ただ一本だけ津波に耐えた「奇跡の一本松」の力強さをもって命をつなぎ生きていこう、という歌の詞、チャーミングなアップル・ガールズの皆さんの笑顔、そして頂いた沢山のお土産を胸に抱きながら、次の目的地へ。

 

③ 八木澤商店 河野社長との対話

・八木澤商店は、1807年に酒造業、醤油醸造業を手掛ける八木澤酒造として創業以来、200年以上にわたり陸前高田で事業を継続してきた老舗企業。
今回は、八木澤商店9代目の社長である清水通洋氏より、会社の経営理念や地域への貢献、会社と陸前高田の復興に向けたこれまでの行動の軌跡を伺った。

- 八木澤商店は「たとえどんな経営環境になっても必ず生き残れる企業」であり続けてきたし、これからもそうありたい。会社経営理念の背景にあるのは、近い将来、日本は「冬の時代」即ち「食料をはじめとする資源枯渇の時代」に直面するという危機感。

- 経営者にとって重要なことは、①経営理念を広く共有すること、②正確な現状認識を持ちつつ「絶対にあきらめない」こと。

- 前者について、八木澤商店では小中学生の課外授業向けに提供している醤油醸造参加体験の機会に、社員を教師役として参加させ、子供たちからの「なぜ、なんのために働いているのか」という素朴な質問と向き合い、自分の言葉で話す機会としている。
こうした機会を持つことで、社員は、経営理念について自らインプットし、それを具体化するためのアウトプットを日々の仕事の中で求める動機を持つことになる。

- 農業は構造的な赤字業種だが、一度撤退したら再開するのは極めて困難。中間搾取をなくし、地産地消のシステムを作っていくことで、持続可能なビジネスとなり得る。

- 八木澤商店がメンバーでもある陸前高田を含む気仙地域の中小企業経営者のネットワークである中小企業者同友会では「一社もつぶさず、一丸となって地域へ貢献する」ことをモットーとしつつ、粉飾決算等経営者の正確な現状認識の妨げとなる行為については、厳しく率直に指摘しあう緊張感と、「最重要の経営資源は人」であり、「人件費はコストではなく投資である」という考えを共有しながら、結束を高めてきた。

- そして、東日本大震災が起こった。津波により八木澤商店も蔵、製造工場ともに全壊、流失する甚大な被害を受け、事業が継続できない状況となった。しかし、こうした環境にあっても「絶対に人は切らない」と自分に言い聞かせ、4月からの採用予定者も含め、全員の雇用を維持した。
雇用維持に当たっては、政府が用意した「雇用調整助成金」の活用に期待したが、社員名簿等、申請に必要な書類が津波で流され手元にない。しかし、かつて社員向けに配布した資料を従業員が自宅で丁寧に補完してくれていたため、申請に役立てることが出来た。

- 被災後しばらくの間は、国内外から寄せられる支援物資の配送を請け負いつつ、岩手県の内陸に営業拠点を移し、岩手、秋田、宮城、新潟各県の醸造蔵に製造を委託、その商品の販売を開始した。
財務面でも、資産を一気に喪失したため債務超過に陥ったが、復興支援会社からの義捐金と劣後融資、そして金融機関による債務交換等によりバランス・シートを改善させ、経営再建の基盤を再構築した。

- 震災前から作り上げてきた絆を活かして、事業継続に向けて一致団結して臨んだ結果、中小企業者同友会のメンバー89社のうち、廃業は1軒のみ。

- 復興に当たっての最大の脅威は「自立する力」を失うこと。政府が用意した様々な補助金も、企業側が受け取ることを前提に事業計画を立てたのでは必ず失敗する。少なくとも一度は、補助金無しで事業を成り立たせるにはどうしたらよいかを、真剣に考え、どうしても出来ない場合にのみ、必要最低限の公的支援を活用するべき。

- 復興をさらに前に進め、人口減少や高齢化といった難題を乗り越えるモデル地域として世界に輝く陸前高田市をつくるために、現在、岩手県中小企業家同友会や一般社団法人ソーシャルビジネス・ネットワークの協力を得ながら歩みを進める復興まちづくり会社「株式会社懐かしい未来」を立ち上げた。「懐かしい未来」は地元の資源を活かしながら、社会の今日的課題に応えるための事業と雇用を創るために様々な活動を内外の志のある仲間と展開している。

 

④ 陸前高田の復興に向けて活躍する官民の若手との懇親会

・陸前高田で復興の先頭に立つ官民の若手有志11名と、Crossoverスタッフ8名による懇親会を久保田副市長おススメの市内居酒屋「参吉」にて開催。官と民、地方と都市の壁をCrossoverして、白熱した議論や共感に満ちた対話を共にした。

・会は、久保田副市長の挨拶から始まり、池田代表がCrossoverの想いを伝え、杯を交わしたところで、自己紹介タイム開始。各自1~2分の予定だったが、モチベーションの高い各参加者の自己紹介は、カモシカ・トーク(カモシカは国の天然記念物だが、交通事故の憂き目にあったカモシカの亡骸は、市の”清掃センター”の担当となるという衝撃な事実)や陸前高田の方言「バババ!」(標準語では「なんと!」や「そうなんだ!」に相当)の紹介など、ユニークかつボリューム満点だったため、途中に休憩を挟むこととなった。

・陸前高田側の参加者の中には、東日本大震災で家や家族を失った方もいたが、これからの陸前高田の未来を描き、今できることを自らが動いて実行してようという熱い気持ちを持っていた。特に印象に残っているエピソードとしては、「震災で人口が減り、このまま何もしないでいると陸前高田市が地図上から消えてしまう。
だから自分達で動かないと」と訴える声。日本全体に共通する課題である人口減少について、陸前高田市は主体的に受け止め、対応策を講じようと若手が動き出している。

・今回のこの出会いが、陸前高田や日本の問題解決に向け、分野をCrossoverして協働していくきっかけになることを願って懇親会は終了(以降、二次会に続く…)

<陸前高田市からの参加者>
・久保田崇さん: 陸前高田市副市長
・伊藤雅人さん: 陸前高田市観光物産会事務局
・伊藤英さん: SAVE TAKATA渉外・広報担当
・及川晃一郎さん: 陸前高田市企画部まちづくり戦略室
・大和田貴史さん: 愛の果樹園直売所(りんご農家)
・岡本翔馬さん: NPO法人桜ライン代表
・桑原祥作さん: リクルート・ライフスタイル社から陸前高田市商工観光課に派遣
・千葉愛実さん: 陸前高田市長寿社会課保健師
・坪井奈穂美さん: 気仙椿ドリーム・プロジェクト
・吉田悠さん: 陸前高田市教育委員会生涯学習課
・渡邊さやかさん: 一般社団法人 re:terra 代表

(スペシャルゲスト)
・戸羽太陸前高田市長

 

⑤ ツールド三陸、横田町あゆの里まつりの様子

・陸前高田市滞在二日目は、雨模様だった前日とは打って変わって、真っ青な何もない美しい空。まさに、ツールド三陸の参加者のために用意されたような晴天の中、約1,000名の参加者が陸前高田に集結した。

・ツールド三陸は、甚大な被害を受けた三陸の街づくりを支援すること、そして参加者はもとより被災地の人々にサイクリングを楽しんで欲しいとの思いから2012年より毎年開催されている。

・Crossoverメンバーから、久保田と田中宗介が参戦!田中は東京から新幹線に乗せて、久保田はご近所からのレンタルで、それぞれの愛車を調達した。

・ツールド三陸は第1回目から継続して参加している人が多くいるとのこと。毎年復興に向かって歩み続ける街並みをサイクリングで眺める。陸前高田ならではのイベントに私も非常に強い関心を覚えた。

・他のメンバーは、その後横田町で開催されている”あゆの里まつり”へ。気仙川は、天然のあゆが採れる貴重な清流。新鮮なあゆを丸ごと食したり、もちつきに参加したりと食べてばかりいたが、陸前高田の食の充実さを実感。そして、何よりも地元の方々の温かさに触れ(「お兄さん若いから!」というだけであゆの塩焼きを一匹サービスしてもらった!)、まつりを心から楽しむことができた。

 

⑥ 奇跡の一本松との対面

・「こんな静かな場所に津波が押し寄せたのか・・・」奇跡の一本松との対面を迎えて一番に感じた印象だった。周囲はただ静かに波が押し寄せる場所。後ろを振り返れば、高台づくりに必要な土を近隣の山々から運ぶ巨大なベルトコンベアが視界を埋め尽くす。

・ここにかつて風光明媚な松原があったとは信じられない。そして、その松原をなぎ倒した津波が押し寄せたこともまた信じられない。しかし、一本松はそれが事実であったと強く主張するように佇んでいた。

・かつては「高田松原」として多くの人々に愛された松原は津波で破壊された。しかし、唯一1本だけ生き残った松があった。そして、それは「奇跡の一本松」の愛称で東日本大震災の復興のシンボルとして世界中の人々に愛されるようになった。

・多くの支援を受けて保存活動が行われてきた一本松は、2012年5月に枯死が確認された。しかし、後世に受け継ぐことを目的に、市は一本松をモニュメントとして保存することにした。その費用は全額世界中の有志から寄せられた寄付で賄われており、税金は一円も投入されていない。

・周囲にはあの八木澤商店が運営する茶屋もあり、震災の経験を観光を通じて伝える環境も徐々にではあるが、整ってきているように感じた。

 

⑦ 広田町仮設住宅の皆さん、大船渡高校の高校生との対話

・現在は瓦礫処理の仕事をしながら消防団員として地域貢献をしている鳥羽さんから震災直後の様子について、ご自身の経験に基づくお話を聞くことができた。鳥羽さんは、震災が発生後に着の身着のまま避難したのでジャージだった。当時、消防団として給水するのを手伝った。真水が使えないので仕方なく海から汲み上げるしかなかった。強い風に吹かれて凍えながら作業をした。
鎮火したあと、避難所に向かうと焚き火をしていた。行政からは二次被害を避けるために、焚き火が禁止されていたが、それ以外に暖をとる方法がなかったので助かった。毎日、遺体の回収作業にあたっていた。昼食はパン一個、わずかなおにぎりの配給という厳しい状況で、生活水も不足していて、遺体回収作業をしたその手で食事をするなど衛生面も問題だった。

・半島でもある広田地区は、津波により?陸の孤島”となってしまったため支援物資が届きにくい状況にあった。情報通信もほぼ遮断され、携帯電話がかろうじて通じる場所は、避難所近くにある30cm四方のごく狭いスポットのみだったので、そこに立って必要なものをリクエストした。その際、大手ECサイト「Amazon」が提供する「ほしいものリスト」という機能は役立った。
支援者が被災者の代わりに買ってくれて、必要な物資が届くサービスで、そのときのリストは今後の支援のあり方を考える上で参考にして欲しい、とのことだった。

・被災者は互いに助け合った。皆で共同トイレを設置した他、海水と泥にまみれた重機を分解して直し、車が通れる道を作るなど、各人が、それぞれの専門を活かして行政の助けに頼ることなく、迅速に極限状態を乗り切った。地域の高齢者の女性も多大な貢献をした。浸水していない昔の山道や、飲料水の場所など、古くから住む人の知識は大変役だった。このノウハウは後に、津波の浸水域、公式の地図には掲載されていない近道、湧き水の場所等を地図にプロットして避難の際に役立てる「逃げ地図」の作成へとつながった。最近、「逃げ地図」のアプリ版が世界銀行の防災コンテストで受賞をする結果につながった。自治体には、こうした防災のノウハウや実績を「ヒロタモデル」として、積極的に世界へ発信してもらいたい、と期待がかかっている。

・さらに防犯においても、避難所生活から仮設住宅に移動した際、被災者支援を装った不審者からの保護を目的とした夜回り活動を自主的になされるなど、共助の体制ができていった。

・こうした自主的な公助活動が出来た理由について、この地域に特別な体制があったわけではないとの話があった。連帯感を示すものとして地域の行事として、年に1回、旧正月に集まって飲む風習があったくらいだとのことだった。飲み仲間のうちから自然とリーダーとなる人が現れ、助け合いの中から形成されていった。

・復興の状況について、漁業にあたっている当事者の声を聞いた。漁船の補償が9割もらえたことで、ほぼ震災前に近い状況で再開ができている。しかし、牡蠣の養殖をしている生産者の立場からは、区画整備事業での泥が養殖場の生産物に混じることに寄る市場価格への悪影響を懸念が表明された。

・将来の陸前高田のあるべき姿について、様々な夢が語られた。鳥羽市長が提唱する「陸前高田を200万人が住む町にしよう」への賛同と併せて、浮体式洋上風力発電の研究施設と大学ができて、若い人や世界中の高度人材が集まるような町になったらいい、との希望溢れるビジョンが示された

<参考>
・世界銀行の防災をテーマにしたコンテストで受賞したアプリ 「逃げ地図2.0」
・風車

 

⑧ 大和田リンゴ農家訪問

・前日の懇親会で意気投合した大和田さんのリンゴ農園に、急遽訪問させて頂くことに。

・突然のお願いにも関わらず快くご家族総出で歓迎してくださった。

・お父様のお話は下記の通り

- りんごの収穫後に震災が起こった。海産物はすべて被害を受けたため、当時は陸前高田で残ったのはリンゴだけ、という雰囲気だった。ただし、多くの農家は後継ぎがいないことに悩んでいる。りんごは接ぎ木を重ねてじっくり育てるため、満足のいく実りを得るまでには相当な時間がかかる。後継者が見つからずにリンゴ園を一度閉めてしまえば、同じ味のリンゴを得るためことはできない。

- 大和田リンゴ園もいろんな種類を接ぎ木して美味しいリンゴをつくる努力を重ねてきた。この時期は「ほくと」という品種が一番美味しい。ここまで木を育てるのに30年かかった(いただきましたがとても美味しかったです!)

- 大和田リンゴは直売所を持っており、りんごビール等オリジナル商品をつくっている。農協を介すると販売価格が安くなってしまうが、防虫を手伝ってもらえる等のサポートがあるため、高齢者の多い農家の多くは農協に頼っている。

- 農業は台風、鳥害、虫害などのリスクが高く、専業では採算があわないため、他に色々な副業をしている農家が多い。売り物にならないリンゴをジュースにして販売する農家は多いが、供給過多気味。また、会社員退職後に親の果樹園や農地を引き継ぐケースも多い。

・お話の後は実際の農園を見学する。普通にしていたら採算が合わない農家を引き継ぎ、アルバイトをしながら本業も黒字化すべく工夫している大和田さん。

・「この木は嫁と付き合いだした時に植えたんです」とはにかむ様子は普通の若者

 

⑨ 椿の種拾い

・一般社団法人 re:terra 代表.の渡邊さやかさん、坪井なほみさん、地元の高校生&小学生ボランティア3人、そしてCrossoverスタッフ3人の8人でハンドクリームの材料となる椿の種を拾う。

・将来外交官のように世界に飛び出したい高校生と未来や仕事について盛り上がりながら、たくさんの種を拾うことができた

・re:terraの設立ストーリーは以下の通り
2011.3.11
- 気仙で50年以上椿油をつくっていた石川製油所が津波で被災。
- 機材、施設が全て流され、後継者の政英さんが犠牲となった。
- 個人での再建は非常に困難として、石川代表は4月末に廃業を決めた。
- 一方、同じく気仙にあった身体障害者授産施設「青松館」は、高台にあり被害はまぬがれたが、協力業者の被災によって事業(廃天ぷら油で製造するBDF燃料精製事業)を中断せざるを得なかった。
- そこで、「青松館」は石川製油所の技術を引き継ぎ、椿油の製造を再開した。
2011.12.19
- 兼ねてから震災ボランティアを行っていたEn女医会の照山裕子先生
- ハリウッドビューティサロン牛山社長
- 地域の産業復興を通じた経済の活性化を目指していた渡邊さやかさんが出会い椿油を使ったハンドクリーム開発プロジェクトを開始する
- 世界に通じる「良いもの」をつくろうと品質にこだわりre:terraを設立し、「Heaven & Heart」という商品を開発した
- 良質な椿油を使用し、女性の視点、医師の視点で開発されたハンドクリームは各地で売り切れとなり、追加生産されるほどの人気となった。
- 現在は第二段のリップクリームの開発中。

・椿の種を拾わせていただいたおうちの方からは採れたての野菜をいただく。ここでも東北の方のおもてなし文化を感じた。

 

⑩ NPO法人Save Takada訪問

・初日の懇親会でSave Takataの広報担当田中さんと親しくなったご縁で、仮設商店街の二階の事務所を訪問。

・代表の佐々木さん渉外・広報の伊藤さんに、支援先でもある米崎りんごをいただきながらお話を伺う。

・Save Takataの設立ストーリーや事業は下記の通り
- プログラミングが大好きで天職についていたという佐々木さん
- 自分の夢であるWeb会社を起業して間もなく震災で故郷が被害にあう
- 居てもたってもいられず、安否確認等、現地の情報をインターネットに公開する等IT知識を使った支援活動をすぐに開始。その後「笑顔をつくる」を理念にSave Takataを設立
- 分野を問わず被災者のニーズに応えるべく奔走する。ひたするできることを実施した3年半を経て、現在の理念は「挑戦の地「陸前高田」で日本の未来を創る地域づくりを目指す」こと。
- 震災で20年分の過疎化が進んでしまったという陸前高田で問題解決することは、20年後の日本の未来を創ることであると考え、陸前高田を震災前よりも良い街にすべく挑戦を続けている
- 現在注力している事業は、農業、IT、若者の3つ

<農業>
農業や水産業などの第一次産業が食品加工・流通販売にも業務展開している経営形態を表す6次化に、更に担い手つくりまでを含めた7次化を掲げる
大学生や若年無業に対して就労体験を実施し、就農者を創出することで深刻な人手不足の解決を目指している

<IT>
地域の高校生等の市民に対してIT教育を実施
IT教育を受けた高校生は陸前高田復幸マップという地域の情報や魅力が詰まったポータルサイトを運営、情報発信を行っている。近日iphoneアプリをリリース予定

<若者>
若者流失から流入への反転を目指し、若者がつくる若者拠点づくりを実施
陸前高田市鳴石地区にある古民家を大学生が自ら企画・改修を進めている
- 設立直後はとにかく被災者ニーズに応えることを目的としていたため1人当たり15プロジェクトを抱えるほどの多忙だった
- 米崎りんごはとても美味しいのに後継者がおらず、存亡の機にある
- 若年無業者は真面目な方が多い
- 陸前高田の農家は深刻な人手不足かつ情にとても厚い。もし就農する方がいたら、心から感謝されて自己の重要感を得られると考えている
- 大変だったことはたくさんあるが、自分の夢であったWeb会社起業&拡大に時間を使えなくなったのは辛かった。ITはとても好きなので、Save takataの事業としても続けていきたい

・これだけ成果を出しながらとても謙虚な佐々木さんのお人柄と、3年半がんばってきて本当によかったですという伊藤さんのつぶやきが強く印象に残った。

 

4.参加者の感想


○ 3日間本当にどうもありがとうございました。自分達で街をつくるぞ!というパワフルな方にたくさんお会いできて、とても元気をもらいました!

○ 7万本の松が全部一瞬でなぎ倒されて、でもたった一本だけ残った「奇跡の一本松」は本当に象徴的だと思いました。

○ 一番印象的だったのは、「陸前高田は課題先進都市。ここで成功事例ができれば、世界の先進事例になれる」という言葉です。全て流されてしまってもなお前向きな人達には本当に頭があがりません。本当にありがとうございました!

○ アップル・ガールズの皆様、河野社長、またアレンジして頂いた市役所の方々、楽しく、また考えさせられる時間をありがとうございました。震災は不幸なことではありますが、希有な体験をされた皆様の話は、地方のありかたのみならず、ネットワークとしての社会の一般論を考える上で貴重な事例だと思います。
現代科学、特に数理科学は社会学や歴史学にも分析の手を入れつつありますが、血肉の通った体系になるためには、体験とその共有が不可欠です。その点で今回の訪問は(政策立案にはほぼ無関係の)理系としてみても刺激的なものでした。
皆様がその体験をより広く発信することで、知恵を共有し、不幸を乗り越えることを祈念します。ありがとうございました。

○ 今回残念ながら日帰りの旅となってしまいましたが、短いながらも多くの気づきを得られた時間となりました。主な気づきは以下の2点です。

1. 復興に前向きな人々の姿
陸前高田は決して復興が進んでいるとはいえません。まだまだ時間がかかるでしょう。しかし、困難から立ち上がる人々の姿はとても力強く、前向きに復興へ歩んでいると実感しました。すべてが整っている東京とは違い、何もない一からのスタートであることがかえって多くの人をそのようにさせていると思います。

2. 陸前高田は訪問すべき場所である!
陸前高田は、まだまだ復興の途上にあります。しかしながら、多くの魅力がある場所だと感じました。特に、食の魅力です!!気仙川という清流で採れるあゆや、季節を通じて豊富な海の幸が手に入ると地元の漁師さんから伺い、その食を求めて再訪したいと思いました。観光で訪問することもまた復興支援の一つです!ツアーを企画してくれたメンバーの皆さん、そして出会った地元の方々に心から感謝いたします!

○ 東日本大震災から3年8ヶ月。私達がこらから迎える人口減少・少子高齢化・経済衰退といったオールジャパンに関わる大きい課題を考えるに当たって、今の被災地の現状を知りたい、という気持ちがあった。
震災直後からは行政事務の立場から関わっていたため、国と県、市町村というつながりでしか見えていなかったが、今回、久保田副市長始め、陸前高田市の方々の御好意と御協力により、様々な現状に触れさせてもらった。

○ 非常時のリーダーたるものはどうあるべきか、自分達がこれからの自分達の街のためにどう行動すべきか、についてハートに突き刺さるメッセージを沢山いただいた。
特に、中小企業の立場から「自立する力を失ってしまう」という危機感を教えていただいたのは、非常に感銘を受け、これは災害時だけではなく、平時であっても今後の日本の大きな課題に向けて対応していくために必要な気持ちだと思う。

○ 日本のために自分は何ができるか、改めて考えさせられた非常に充実した旅であったCrossoverスタッフ陸前高田トリップ。お世話になった皆様にお礼を申し上げます。

(注)以上の報告書はCrossoverスタッフが陸前高田市で見聞きした内容を手元の記録と記憶を頼りに綴ったものであり、一部に不正確な記述が含まれる可能性があります。不正確・不適切な記述があった場合には、Crossoverスタッフまでご一報ください。お詫びの上、訂正をさせていただきます。

 

バングラデシュ スタディ・トリップ ~バングラデシュの今を、五感の全てで感じ、学ぶ旅~

バングラデシュ スタディ・トリップ ~バングラデシュの今を、五感の全てで感じ、学ぶ旅~

2012/08/27-9/01

 

バングラデシュ スタディ・トリップ

~バングラデシュの今を、五感の全てで感じ、学ぶ旅~

 

 

こんなフレーズのもと、8月27日から9月1日までの1週間、Crossover21 Bangladesh Study Tripを実施しました。

このトリップは、2011年8月より世界銀行のバングラデシュ現地事務所に赴任中のCrossover21スタッフ代表の池田洋一郎が、同国で培ってきた日本人、ベンガル人の友人達とのネットワークを活かして企画、10名のCrossover21の会員及びスタッフの参加を得て実現したものです。

参加者の職業はITベンチャー経営者、医師、中央省庁職員、セラピスト、金融機関スタッフ、システム・エンジニアなど、Crossoverらしく多彩。到着する飛行機のスケジュールもバラバラ。

しかし、ありのままのバングラデシュを自分の目で見たい、知りたいと言う強い好奇心と軽いフットワーク、そして、そこから何かを学び取ろうという向上心は、旅を共にした仲間の共通項でした。

刺激に満ちた一週間の旅の経験と学びを広く共有するべく、以下の通り

一週間の旅の概要
テーマ別の詳細報告
トリップ参加者による報告会(11月17日(土)開催予定)のご案内
http://www.facebook.com/events/368462756576822

としてまとめましたので、ご覧頂ければと思います。

なお、バングラデシュの一般概況については、参考資料「バングラデシュの持続的な成長に向けた世界銀行の取組み」(代表池田洋一郎による、世界銀行東京事務所での講演資料)をご覧ください。

 

旅の全体感


初日
ダッカ市の家庭ごみ処理事業見学、市の担当職員との意見交換

人口増加、経済活動の活発化と相まって深刻度を増すダッカ市のごみ問題。

Crossover21のメンバーは、3名の現役青年海外協力隊の力を借りて、JICAが長年力を入れて支援をしているダッカ市の家庭ゴミ収集・処理事業(正式名称:ダッカ市廃棄物管理能力強化プロジェクト)について、ゴミの一次収集から最終処分までのサイクル、及びこれまでの成果と今後の課題について学びました。

写真は、ダッカ市内各所に設置されているゴミ収集コンテナ。

作業員の衛生・安全・そしてモチベーションの管理は、ゴミ処理改善事業の成功のキーポイントです。

 

初日夜から三日目まで
農村(チャンドプール県ハムチャ村)ホームステイ
郡病院、村の診療所、及び都市と田舎の教育格差是正にむけたソーシャル・ビジネス「E-Education」訪問

バングラデシュの1億5千万人の人口の約8割は農村部で暮らしています。

青々とした水田が広がるバングラデシュの農村は、どこか日本の田舎を思わせる懐かしい美しい風景と、人々の人懐っこい笑顔に満ちています。

一方、農村部は、質の高い医療や教育へのアクセスにおいて、都市部には見られない大きな問題を抱えています。

ダッカの河の玄関口である「ショトルガット港」を夜11:30に出港する夜行船で出発したCrossover21のメンバーは、ダッカから100キロほど南に位置するチャンドプール県ハムチャ村を目指し、そこで、ダッカ大学の学生であり、社会起業家でもあるマヒン君の実家でのホーム・ステイの機会を頂きました。

写真は、ハムチャー村近くの港の茶屋で、ものすごい数のベンガル人に取り囲まれるトリップ・メンバー。

人と人の距離が近い!!

この地で、Crossover21のメンバーは、郡病院や村の診療所への訪問し、出生率の抑制にむけた現場の取組みや、地方医療の現状を学んだほか、都市と田舎の教育格差を是正すべくマヒン君が立ち上げた「e-Education Project」の現場を見学、当地の学生たちと交流をしました。

写真はe-Educationが無償提供するプログラムを受講する、村の女子高校生たちの様子です。

ダッカの一流予備校で教鞭を取る有名講師の授業を収録したDVDを使った「遠隔講義」により、これまで大学進学者が一度も出たことの無い村から、何人もの高校生が、バングラデシュ最高学府であるダッカ大学を始め、多くの大学に進学するという奇跡が現実のものとなりました。

素晴らしいソーシャル・ビジネスを持続的に展開するには何が必要か、そのために、僕たちは何が出来るか、日本に持ち帰ることの出来る学びは何か、美しい農村の風景の中で、一人ひとりが深く考え抜き、そしてお互いに語り合った時間でした。

 

四日目
グラミン銀行訪問、職員・幹部との意見交換

いまやソーシャル・ビジネスの代名詞ともいえるグラミン銀行。
2006年10月のノーベル平和賞受賞以来、マイクロファイナンスは持続的な貧困削減に資するツールとして、世界中の脚光を浴びています。

一方で、20%とという金利水準等を巡って多くの議論や批判が有るのも事実です。

Crossover21のメンバーはグラミン銀行の地方都市での支店における借り手女性達やスタッフとの交流、本社での幹部との意見交換等を通じて、そのビジネス・モデルの核心に迫りました。

「借り手の女性たちはいくら、何のために、グラミン銀行からお金を借りているだろうか?」、「グラミンの貸付は、女性たちの生活にどのような変化を齎したのだろうか?」、「グラミンのスタッフは顧客である農村の女性達と、貸付を通じてどのような関係を創っているのだろうか?」

数々の問題意識を沸騰させながら訪問したグラミン銀行の支店及び「借り手センター」では、数十人の借り手女性及び、グラミン銀行の支店職員との密な対話により、その実像をつぶさに学ぶことが出来ました。

写真は、グラミン銀行本店で、創業者のユヌス博士を囲むCrossover21のメンバー。

グラミン銀行がその30年の歴史のなかで経験した危機と失敗、自己変革、そして顧客に提供する数々の商品ラインアップの背景にある基本哲学について、忌憚のない意見交換を通じて多くの気付きや学びを得ることが出来ました。

 

五日目
ダッカ市内探訪

人口1,500万人を要するメガ・シティ、ダッカ。
急速な都市化は、経済成長の源泉となる情報の集積、豊富な雇用機会、そして旺盛な消費力を持つ中間層や高所得者層を生み出しましたが、同時に、様々な社会問題をも引き起こしています。

こうしたダッカ市の現状と課題について学ぶべく、Crossover21のメンバーは、バングラデシュの主要輸出産業である牛革加工場が密集するハザリバーグ地区、中古船舶の修復工事現場、そして、そうした工場自体で働く労働者などが暮らす線路脇のスラム等を訪問。

都市化や経済成長の歪がもたらすチャレンジの最前線で生き、働くダッカの人々と向き合いました。

写真は、中古船舶の修復工事現場での一幕。
地上から数メートルの高さにある船の甲板まで、細い板をつたってよじ登る。メンバーが最も冷や汗をかいた瞬間でした。

 

 

写真は、ハザリバーグの牛革加工工場を奥深くまで入るCrossover21のメンバーの様子。
マスク無しにはめまいがするような異臭の中、エメラルド・グリーンの工場排水が市内の川へと直接流れ込む様子をダイレクトに目にしました。

 

六日目
NGOが経営する小中学校訪問

この日は乗用車の利用禁止!

リキシャ、CNG(天然ガスで動くオート三輪)、ティンプ(軽トラックの荷台を改造した乗り合いバス)、そして小舟などなど、ベンガル人が日常的に使う交通手段のみを利用して地方都市へと移動します。

向かった先は、ダッカから北へ約40キロ、ガジプール県ミレルバザール地区。

そこで活躍する青年海外協力隊の友人を訪問。彼が関わる学校プロジェクトや地方都市の暮らしを堪能しました。

写真は美しい緑の中を小舟で川下りする様子です。

余りの心地よさに一同、眠気に抗う気力なし。

日本の4割ほどしかない国土に1億5千万人もの人々がひしめき合う国、バングラデシュ。

日本ではとかく「洪水」、「貧困」、「ソーシャル・ビジネス」といった枕詞と共にしか語られないバングラデシュですが、その実情は、新興国としての躍動感と可能性に溢れ、同時に、厳しい試練とダイレクトに向き合い、それを受け入れる人々の生きる力に満ち満ちています。

印象的な出会いと学びの機会に満ちた一週間を通じて、トリップに参加した一人ひとりは、この国の最大の資産であり魅力である「人々」とダイレクトとに語り合いながら、日本では決して経験出来ない、眼には見えないけれど大切な何かを、感じとり、学び取る得ることが出来ました。

経済成長著しい喧騒のメガシティ・ダッカから、緑いっぱいの農村まで、バングラデシュを彩る様々な現実に飛び込むべく、早朝から深夜までビッチリと詰まったイベントをこなすスケジュール、そしてローカル・レストランやホームステイ先で、現地の食べ物を右手でそのまま頂くベンガル人スタイルを貫くという荒削り且つ強行軍のスケジュールでしたが、大きな怪我・病気・事故もなく、皆、日本での生活を再スタートしたようです(多少の下痢に悩まされた仲間はおりましたが…)。

超濃密なトリップを経験した10名のメンバーが至った結論、それは

「今が旬、行ってみよう、見なきゃ分からん、バングラデシュ!!」

そんな、貴重な機会を創ってくれたバングラデシュの友人達に、この場を借りて、心からお礼を申し上げます。

「ショバイケ・オネク・ドンノバート(皆さん、本当に有り難うございました!)」

「アムラー・アバール・アシボ(また来ますよ!!)」